2005/1/30
カシオEX-word XD-H9200評

辞書検索はもっぱらPC用のソフトウェアを使っていたので、電子辞書の専用機を買うのは十数年ぶりになる。むかし買ったのは8cm CD-ROMを読み取る電子ブックリーダーで、小型辞書ほどの大きさがあった。いまや文庫本よりも薄くなっている。長所と短所を以下に記そう。

長所。同機は期待していたよりも使いやすい。特に感心したのは用例を出すときに画面を分割して表示させる点で、画面を完全に切り替えるよりも見通しがよい。インクリメンタルサーチや串刺し検索は、できて当然といえば当然だが、好ましい。造りとしては、単4乾電池に対応しているのが気に入った。アルカリ電池を推奨しているが、ニッケル水素電池でも動作する。ODEは専用機にちょうどよい大きさだろう。OEDの用例を見るには画面が狭すぎるし、COBUILDも定義がくどいので専用機には向かないのではないか。それから『ジーニアス大英和』は意外とよい。

短所。信じられないことに表示書体が固定ピッチだった。ローマン体はまだしもイタリック体まで等幅なのは勘弁してほしい。もっともこれは国内販売されている電子辞書では普通のことらしく、プロポーショナルフォントを搭載している点を謳っているシャープ製品のページが見つかった。しかし、この画面写真を見るかぎりではイマイチである。画面用(ビットマップ)のプロポーショナル書体としては、私は断然Genevaを推す。Geneva 12Windows 3.0の標準書体とを見比べてみよ。

悩みどころも何点かある。ひとつは盗難・紛失対策で、あまり効果は期待できないが本体裏側にメールアドレスを書いておくことにした。ビックカメラでハードケースを購入したので、持ち運びの際に壊してしまう恐れは減少した。目下の悩みは、日常での辞書検索が専用機で間に合うようになった結果ほとんど使わなくなってしまったモバイルギアだ。

2005/1/26
Internet ExplorerでFlashのオン・オフを切り替える

Internet Explorer 5.0SP4でWebページを閲覧していて煩わしく感じるのが、アニメーションGIFやFlashによる広告である。前者はIEの設定によって動きを止められるが、後者に関する設定はなかった。強いて言えばActive Xの設定でFlashを無効にできるが、その操作自体が面倒で実用的ではない。Proxomitronのフィルターで防御しているが、すり抜けてしまうFlash広告は如何ともできなかった。

1週間前に発見したFlash and Pics Control v.2.0(フリーウェア)は、IEのツールバーの中にFlashと画像のオン・オフを切り替えるボタンを作成するソフトウェアだ。下の画面写真でホームボタンの左隣に配置してあるのがそれで、押すとメニューが出る。けっこう便利なので、常用することにした。

注意としては、インストールはユーザーごとに行なわなくてはならないようである点だ。


2005/1/20
両極端の英語本

英文法にまつわる新書の類は見つけしだい手にとるようにしているのだが、とくに記載するようなものはなかった。現時点では、Greenbaum and Quirk『A Student's Grammar of the English Language』(Longman, 1990年)、デクラーク『現代英文法総論』(開拓社、1994年)、安井稔『英文法総覧』(開拓社、1996年)の3冊で満足している。ところが近ごろ出来・不出来が両極端な新書2冊を読んだので、あわせて紹介することとしたい。

まずは不出来なほうから。松井力也『「英文法」を疑う』(講談社現代新書、1999年)。内容は、言語と文化とを結びつけたありがちな雑文である。ちょっと笑ったのはデカルトの名文句をして「英語的」と述べているところで、いったいデカルトは何人なのだろうか。(当然ながら原語はラテン語である。)俗流文化論に頼らずとも、古英語や中英語を読むとかドイツ語・オランダ語に触れるとか、時間的・空間的な広がりをもって英語を眺めれば、言語のことを言語の中で説明できると思うのだが。まあ、岩谷宏を尊敬するような人だから仕方がないか。

次に傑作なのが、中尾俊夫『英語の歴史』(講談社現代新書、1989年)。英語の歴史をコンパクトにまとめており、水準を落としたところもない。巻末の索引もしっかりしている。この書籍はぜひお薦めしたい。

上の画像はp.13にあったラウスの英文法書(1762)だ。同書のp.70以降にある「学校文法の誕生」に詳しいけれども、18世紀は文法改革期である。もちろん、文法の規範となったのはラテン語だ。未来表現を時制の部分に持ってきている点を見れば明らかだろう。

おもしろかったのは、「It is me.」という表現を遡っていくと「It is I.」→「It am I.」(中英語)→「I it am.」(古英語)のような語順の変遷を遂げるところだ。この場合ItとIとは同格なのだから主格を用いなければならない――と説明するのが普通である。ところが現代正しいとされる「It is I.」もまた、本来は補語であるitを主語だと誤解した結果生まれた表現なのだ。そのほか小ネタとしては、nearがもともと比較級で、その最上級がnextであるのも新鮮な驚きだった。

残念だったのは、時制の一致についての歴史を見ることがまたしてもできなかったこと。だいたい時制の一致が意識されるのはラテン系の言語で、英語の場合には限定的にしか適用されないキワモノ的な規則である。それをGreenbaum and Quirk(1990)が「backshift」と一語で表わしたのを読んだときには感嘆した。この規則がはたして18世紀生まれのものなのか、以前から気になっている。

同書を読んだ副作用で、またOEDがほしくなってしまった。今回はODEを収録したXD-H9200が処分価格で出ているのを見かけたので、それを購入して我慢することとした。

2005/1/16
Mac miniに期待すること

先ごろアップルから発表された弁当箱大のMac miniは、庶民用PCとして望ましい性質を備えていると思う。寸法(16cm^2×5cm)といい目方(1.3kg)といい、気軽に持ち運べる製品だ。HDDに2.5インチを採用した点も支持できる。庶民には仕様などどうでもいいことだが、DVI-I端子を備えているのは玄人向けで心憎い。

この製品は、半モバイル的な使いかたがおもしろかろう。私は仕事場にThinkPadを持ち込むことが多いので、ACアダプターを複数購入し、仕事場各所にばらまいている。それをもっと極端にして、入出力機器(キーボードやディスプレイ)も自宅と仕事場に用意しておき、移動するときにはMac miniだけ持って出るのだ。屋外で仕事をしないなら、これで十分である。1.3kgならB5モバイルノートに匹敵するし、大きな画面で表示できる利点がつく。

この製品が日本で大ヒットしてくれることを望む。さらに、Mac miniの影響を受けて日本の大手が繰り出すPCの路線に修正がかかることを期待したい。CPUなど組込用のGeode NXで十分だから、小さく軽く静粛(低燃費)で安価な庶民向けPCが必要である。そういえばMac miniも台湾Asusが製造しているという話だから、Terminatorで実績のあるAsusに期待したほうがよいのかもしれぬ。

2005/1/11
保守本流は「保守」か?

ワイドショーで放映される芸能ニュースが実際には芸能人ニュースであるのと同じように、新聞記者の書く政治報道は政治家報道であることが多い。『世界』に掲載された座談会をまとめた後藤基夫・内田健三・石川真澄『戦後保守政治の軌跡――吉田内閣から鈴木内閣まで』(岩波書店、1982年)も例外ではないが、大正生まれの方々の中曽根以前の同時代史からは学びうる点も少なくない。

そのひとつとして、二大政党制への過大な期待があげられる。保守合同の際、新聞各紙は『朝日新聞』を中心として自民党・社会党というイギリス型の二大政党制によって政権が運営されていくかのごとく期待し、報道を行なった。合同後初の選挙では統一社会党は議席を伸ばしたにもかかわらず敗北宣言を出している。実際の社会党の勢力は当初から自民党の半分しかなかったのだから、二大政党制の空気が浸透していなければ出てこないセリフだろう。

もうひとつ思ったことがあって、それは「保守本流」という言葉だ。同書によれば、この用語が出てきたのは比較的最近なのだという。私たちが考える自民党・保守本流は、吉田−池田に連なる人脈だろう。そして吉田には鳩山、池田には岸というアンチテーゼがいる。憲法改正を前面に掲げて選挙に出た鳩山一郎に、党内でも一枚岩でなかった安保改定を強行した岸信介。どう見ても保守本流よりも保守ではないか。

保守本流はイデオロギーよりも利益を重んじている。吉田はダレスの再軍備要求(鳩山の悲願でもある)を拒否しているが、これは再軍備そのものに反対なのではない。国力に見合わないと判断したためだ。池田の「寛容と忍耐」による所得倍増計画は言うまでもない。佐藤に至ってはノーベル賞受賞時のスピーチで、憲法9条と非核三原則とを擁護している。

池田・佐藤の高度成長期を眺めてみると、彼らが中間層を取り込んで自民党の支持基盤を広げようとしたことがわかる。曲学阿世の徒と言って学者と喧嘩した吉田とちがい、池田・佐藤は御用学者の育成に力を注いでいる。これは、マスコミを通じた世論形成に効いているだろう。このようにして自民党が変わろうとしたのにくらべれば、社会党の体たらくは何とも情けない。保守と革新とは、端から見ると大人と子供のような質的な差があった。

ところが現代、革新がレベルアップするどころか保守が大幅にレベルダウンしている。けっして本流ではない小泉純一郎や石原慎太郎の言動は、ほとんど幼児的としか形容しようがない。山口二郎がどこかで安倍や石破を少年兵にたとえていたが、思えば今や戦後生まれが還暦を迎えつつあるのだ。GHQへの応対や公職追放で辛酸を嘗めた保守政治家とくらべれば、2世・3世議員の浮世離れは彼らが批判の対象とする空想的平和主義と変わらない。

おまけで書いておくと、高度成長を支えた要因のひとつに軽武装を掲げることがある。非軍備がどれだけ成長に寄与したのかどうかに関しては過大評価だという意見もあるが、所得の分配面(というか公正にまつわる部分)では軽武装の効能は大きかったと私は思う。軍需産業はその性格から秘密事項が多くなり、その分だけ完全競争市場から遠のくことになる。それは不正の温床となりうる(米国を見よ)し、一国全体の経済効率も下げる。愛国心を掲げ周辺国の脅威を誇張して軍備拡大を唱える者が、実際には軍需産業からの利益で私腹を肥やす国賊であることは、古今東西そう珍しいことではない。


2005/1/8
イーヤマ ProLite H540Sの評価

ビデオカードをInno3DのI-5200-F3F3VPHにしてから、なんだかWebページの表示が速くなったように感じられた。HDBench 3.30を使ってビデオ性能のベンチマークをとったところ、Textの項目で大差がついている。ここまで差があると体感できるようだ。

■内蔵ビデオ(Sis 630ET)
    Rectangle   Text  Ellipse  BitBlt  DirectDraw
32bit        6595   6514     2899      42          12
16bit       12360  11568     4097      99          20
■RD925-LP128C(Radeon 9250 64bit)
32bit       30931  14354     5498     405          14
16bit       34940  14354     5955     843          14
■I-5200-F3F3VPH(GeForce FX 5200 128bit)
32bit       44746  32145     6372     646          37
16bit       49141  42306     7398    1309          38

(Windows 2000 Professional SP4, Analog XGA)

ビデオカードにデジタル(DVI-I)端子があると、どうしてもDVI接続の液晶ディスプレイがほしくなってしまう。InDesignで作業をしているときにB5見開きが表示できるディスプレイがあればと痛感したので、EIZO FlexScan E141Lからイーヤマ ProLite H540Sに乗り換えた。しばらく使ってみての評価を書く。

機械としての造りは上質なわけではない。剛性はEIZO E141Lのほうがある。ピボット式になっていて画面が回転できるようになっているのだが、ロック機構がないのが残念だ。大幅減点としたいのはイヤホン端子の位置で、本体下部で差し込みにくい。スピーカーを内蔵しているのは、PCのスピーカーが貧弱なだけに助かっている。ただし、その音質は「ないよりマシ」という程度のものだ。

画質については満足している。蛍光灯の明るさは6年落ちのE141Lよりも小さいくらいなのだが、明るさを落とすと雑音がするのはどの機械もいっしょなので、最初から明るすぎないほうが助かる。(この機械では明るさを80%台にすると雑音が発生する。)なお、ドット欠けを1カ所見つけた。

21.3−UXGAだと約94dpiになる。UXGAは20.3インチ(約98.5dpi)のものもあって選択に悩む人もあるかもしれない。確実にいえるのは、SXGA表示する17インチディスプレイ(約96dpi)の画面を見て画素が小さいと感じる人には、まず20.3インチは合わないということだ。

さて、Windowsで表示している分には何の問題もなかったのだが、LinuxでXを表示させるのにはつまづいた。結局Vine Linux 3.1のドライバーではDVI接続での表示が行なえず、nVIDIA社から提供されているドライバー(カーネルモジュール)を使用することになった。インストール方法についてはOpen Source WEBの記事を参照。はじめ私はPowerPC版の感覚でいたのでlilo.confの変更を忘れており、パッチ適用時に蹴られて悩んでいた。

KNOPPIX 3.4J(20040504-20040511)では、垂直同期が壊れたテレビのように画面が下にどんどん流れ、まともに表示できなかった。しかし3.7J(20041208-20041221)ではXGAながら表示でき、一安心する。

PCの必要性能が飽和した今なら、本体15万・ディスプレイ5万よりも本体5万・ディスプレイ15万と予算配分するほうが能率が上がる場面も多々あるだろう。

2005/1/2
英語落語

Tさんから教わった話。家庭教師先の生徒が使用している英語の教科書『クラウン』から「It is a fact of linguistic life that languages change.」という文の和訳が試験に出されたが、その学校で教師が示した解答は「言葉が変わるのは言語の生命の事実である」というものだったそうだ。これでは意味不明ではないか。教師の英語力はどうあれ、試験問題として出すなら調べてほしいものだ。

まず気づくべきは、この文が「It is a fact of life」に引っかけたものである点だ。(the factでないところから気づいてほしい。)Googleで検索したらいっぱい出てくるけれども、「逃れようのない現実」とか「避けられない事実」とか、(往々にして)厳しい現実を突きつけられるような意味をもった成句である。素直に訳すなら、「言葉が変わるのは言語にとって避けられない事実である」あたりになろうか。

これでも不満のある人はいるだろう。「linguistic life」は言語の推移を暗示しているのに、上の訳ではそれが出ていない。それならば、「言葉が移り変わるのは」とか「言語が変わってゆくのは」など、推移を表わす言葉を前に持っていくと座りがよいだろう。ただし、そこまで高校生に要求するのは厳しいと思う。

もっとも、大学入試問題の英文は受験生のレベルを大きく超えていることが多いので、先生のほうでは生徒のレベルをいまいち把握していない可能性はある。(採点すればわかりそうなものだが。)このまえ読んだ別宮貞徳『翻訳読本』(講談社現代新書)では、

The farm lay in a hollow among the Somersetshire hills, an old-fashioned stone house surrounded by barns and pens.

を、「ごく簡単な文章で、英語を習いたての中学生でも、なんの苦も なく訳せるでしょう」(p.148)と言っていてるのだが、とてもそうは思えない。

話を戻す。そのTさんからいただいた本の1冊に、桂枝雀『枝雀のアクション英語高座』(祥伝社、1988年)がある。英語落語自体はそれほどおもしろくなく、せいぜい「White Lion」がよいくらいだと思っていた。同書によれば「White Lion」の受けが最もいいとあるので納得する。

この本では、持ちネタが英語落語に翻訳されていく過程が記されている。その中で感心したのがSR(ショート落語)の翻訳で、犬が「おっちゃん、そこのいてんか。ボク寒いがな、陰になって」というのを「Hey! You! You're blocking the sun.」と訳している。「blocking the sun」で「陰になって寒い」ということを十分に表わしているのだ。私もこういう水準にまで到達したいと願っているのだが、道は遠い。