2001/7/31
工事に挟まれる

夏休みに入ってから、通りを挟んで北側に位置する小学校が改修工事をはじめた。それに呼応してか、南隣の民家も解体工事を行なっている。小学校の工事はまだ騒音だけなのだが、ショベルカーを使った民家の解体は低周波の振動が加わって、日中は断続的に小さな地震に見舞われているような感じだ。

2001/7/30
何を押しつけられるほうがマシか

『d/SIGN』の野村保惠「これが、『出版業界初の提言!』なのでしょうか――西谷能英『出版のためのテキスト実践技法/執筆篇』」は、西谷(2001)を批判する内容となっている。私はこの本を読んだことがないのだが、批判はおおむね適切で、的を射ている。ただ、TeXに関して気になる文章もある。

ある有名書店の編集者が、TeXで本を出したらこんなに安い定価が付けられたと自慢をしたことがありました。……中略……実は、著者にTeXの組版まで押しつけて、その組版代を払わなかったからです。専門書は、定価の20%前後が組版代ですから定価は下がっても不思議ではありません。

ここでいうTeXの組版が、どの次元までなのかは判然としない。もし、クラスファイルまで著者が作成するとしたら、それは著者にとってかなりの負担になる。組版ルールを理解しなくてはならないからだ。ところが、仮にマークアップだけでよいなら、TeXが使える者にとってはTeXでやるほうがずっと助かる。数式の誤植がなくなるからだ。

数式がらみで何か書くときに、いちばん後ろ向きな作業は校正だ。自分のTeX原稿がそのままでは使われず、QuarkXPressとIllustrator(もしくは電算写植機)で組み直されることを想定していなかった著者は、渡された初校の誤植の多さに唖然とするだろう。これまで書店側は著者に校正作業の費用を払ってきただろうか。校正の作業を押しつけられるくらいなら、まだ組版を押しつけられるほうがマシではなかろうか。

2001/7/29
円安誘導

いつの新聞だったか忘れてしまったが、菅直人さんが「参院選を通して見えてきた小泉改革の矛盾に、マーケットがいち早く嫌気がさしたからだ」「一定期間、円安容認を各国に求め、国際競争力が一息つく間に具体的な改革を進めることが数少ない方法の一つだ」と述べていた。うまくいくかどうかはともかく、考察に値することを述べている。しかし、「各国に求め」るなら米国を「覇権主義」と批判するのはよくないだろう。

2001/7/28
活字書体のナショナリティ

新創刊の『d/SIGN』(筑波出版会)という季刊誌に、昨年2月に公開した「活字書体のナショナリティ――なぜ日本の書体制作者は報われないか」が一部修正のうえ掲載されている。一部修正、というのは、20枚あったものを15枚に圧縮したのと、狩野宏樹さんによるツッコミを反映させたこと、明らかな事実誤認を訂正したことである。

この文章は、かつて私が社会学部にいたときに卒論にする予定だった内容を、昨年3月に幕を閉じた学内誌向けに概略としてまとめたものだ。だから、基本的な対象読者は大学生・大学院生で、商業誌に載るなどまったく思っていなかった。その後、経済学部に移動して統計学を学ぶようになったので、当時の課題は残されたままだ。

『d/SIGN』を送っていただいたので読んでみる。「事態とメディア、生命の存在を透析するグラフィックデザイン批評誌」だそうで、現代思想っぽくて私には難しい。一般向けだからという話だったのでフーコー関係の記述を削除したのだが、別の記事にはラカンやらが出てきていたりする。他の執筆者の方々がたいへんシャレた文章を書かれているなか、いつも同じような調子の私の文章はかなり野暮で浮いているかもしれない。

2001/7/27
費用の意識

公共料金の通知で毎月思うことは、引き落としの通知にかかるコストだ。NTTグループからは、窓付き封筒に入れられた通知書がとどく。いっぽう電力系新電電TTNetからくるのは、ハガキ1枚だ。しかも、利用額が少ないときには2カ月に1度しかこない。これが古参と新参のコスト意識のちがいだろうか。

2001/7/26
頭を垂れる

新津信治・里中哲彦『たたかう英文法』(洋泉社、1996年)で発見した新津氏の発言(p.161)に頭をうなだれる。

地道がいちばんの近道

2001/7/25
横組の句読点

横組で「、」を使うか「,」を使うかが議論の俎上に載ることがある。私はなぜか物心ついたころから手書きの横書きでは「,」を使っていたものの、パソコン上ではさして気にせず読点もコンマも使用している。強いて言えば、お勉強関係にはコンマを使うことが多い。親指シフト入力は、両者が容易に打ち分けられて便利だ。(106/109日本語キーボードでPの位置がコンマ、@の位置が読点である。)

そういうわけで印刷物でも読点・コンマには無頓着だったが、書体によっては横組に不適格な読点のあることを発見した。実は、私の好きな本蘭明朝がそうであるように思う。もっとも、写植の文字には変種があるそうだから、いま目にしている新津信治・里中哲彦『たたかう英文法』(洋泉社、1996年)で偶然そういう不適格な読点が使われているだけなのかもしれないが、たしかにすわりの悪さを覚える。

2001/7/24
見出ミンで置換できない

当方の環境(Windows 2000 SP1)では、Acrobat DistillerをはじめとするPostScriptドライバーで一部のPostScript和文フォント――具体的には「見出ミン」「見出ゴ」によってTrueTypeフォントを置き換えると、不正なPostScriptファイルが生成される。

再現方法は次のとおり。(1)「コントロールパネル」-「プリンタ」で「Acrobat Distiller」のプロパティを表示させる。(2)「デバイスの設定」タブの「フォント代替表」ツリーをクリックし、「MS明朝」の代替フォントを「見出ミンMA31」に変更する。(デフォルトではリュウミンL-KLになっている。)(3)何らかのソフトで「MS明朝」を使用した文書をDistillerで印刷する。こちらが、生成されたPDFファイルPSファイル

この件は、7月15日にニューズグループ(fj.comp.lang.postscript)に投稿した。いまのところフォローが得られないので、ひょっとして機種に依存する問題かと危ぶんでいる。

2001/7/23
かなとローマ字

NHKラジオ夕刊で、在住外国人の日本語に関する意識調査を文化庁が行なったことが取り上げられていた。認識を新たにしたのは、ローマ字表記は必ずしも便利ではないという点だ。ローマ字の認識率は約50%で、認識率約80%のかなで表記したほうが理解されやすいようだ。放送ではルビの使用を推奨していたが、小さすぎるルビは日本語学習者にとって判別が困難なので注意が必要である。また、観光客などローマ字を必要とする人もいるだろうから、ローマ字表記もつづけるべきだろう。

2001/7/22
LaserWriter HDDの控えをとる

アップル製のPSプリンター(LaserWriter 16/600 PS-J)を使用している者にとっての大きな懸念は、和文書体を搭載したハードディスクが故障するかファイルが破損することだ。いまはどうか知らないが、昨年末に経験したときには240MB HDDの交換で10万円強の修理費用がかかった。(他の方の例その1その2その3。)おまけに私はモリサワの古い和文PS書体を入れているから、いっそう具合が悪い。今月末で全サポートが打ち切られるためだ。幸い、真鍋博史氏がハードディスクの控えをとる方法を提示してくださっているので、私も自衛しておくことにした。

まず、2.5インチのSCSI HDDを外付けにするケースを購入する。手元にあるのは「HDD Case Century 2.5SCSI Basic」で、ウッドペッカーで買えた。次に、同一の型番のハードディスクIBM「DHAS-2270」をマックサポートで入手した。ほかにSCSIケーブルを1本買う。以上の準備のもと、控えをとる。Hard Disk Toolkitを持っていなかったので、VineLinux/PPCのddコマンドを利用した。「# dd if=/dev/sda of=./lw16.dd」でイメージファイルを作成し、「# dd if=./lw16.dd of=/dev/sda」でHDDに書き込む。イメージファイルはMOに保存しておいた。

新規購入したハードディスクをLaserWriterに取り付けて、テスト印刷を行なう。正しく印字できているようだ。これまで、破損におびえて欧文フォントをインストールするのをためらってきたが、ようやく恐怖から解放された。

2001/7/21
ThinkPadとの30分

ThinkPad A21m 2628-F2Jをセットアップする機会があった。まず、メモリーを増設する。本体を裏返してネジを外せばよく、すぐに終わる。画面は十分に明るいし、キーボードは打ちやすいし、いい機械だ。

より強く感銘を受けたのは、ハードディスクの脱着が本体側面から容易に行なえる点である。これは便利だ。たとえば、安定状態にあるハードディスクをLinuxボックスに取り付けてディスクイメージを作っておける。また、本体の他の場所――たとえば液晶――が壊れたときでも、同じ機種を買ってハードディスクだけ交換すれば使えるだろう。


2001/7/20
選べることと選べないこと

小泉内閣が押しつけようとする「痛み」の一部は自殺者の増加として表われるだろうと思われるきょうこのごろ、私には参院選挙の争点がよくわからないでいる。世間では、不良債権処理(これは後ろ向きな話)と構造改革(本来は前向きな話)が変に混同されているが、不良債権処理を押し進めるだけでは構造改革ができる環境をかえって制限してしまうだろう。不良債権処理はデフレを招くからだ。

デフレ環境のもとでは、資産と借金とが増大する。一般に新規事業を興そうとすれば借り入れを行なわなくてはならないから、現環境は不都合である。制度面で起業が不利になっている点は構造改革で改善できるだろうが、デフレを何とかするのは日銀の仕事であって政権の役目ではない。が、いまの日銀にたいした仕事は期待できまい。不幸なことに、我々には日銀の理事たちを選ぶ権限がないのだ。

2001/7/19
ワイリーの芸細

芸細と書いてゲイコマと読む。芸が細かいの略。高校のときに、物理の先生がさかんに用いていた。John Wiley & Sonsのある書籍を読んでいて、ひさしぶりに芸細という単語を思い出した。

この書籍では定義や定理、レンマの部分をイタリックで表わすようになっている。そこまではよい。驚いたのは、イタリックの文中の数式書体が直立体になっている点だ。はじめは誤植かと思った。しかしよく考えてみると、LaTeXでもイタリックの中で\emphを使うとその部分は直立するので、それと同じことである。

2001/7/18
latex2html(よりhtml寄り)

latex2htmlが、よりhtml寄りになったら面白いと思っている。つまり、あくまでもベースはhtmlで、そこに数式用のタグ(仮にMとする)を使って<M>\theta</M>などとしてからタイプセットすると、Mタグで囲んだ部分が自動的にgifなりpngファイルになってIMGタグで呼ばれるようになるとよい。NamoWebエディターがそれに近いことをするらしいが、まだ使ったことがない。

htmlといえば、「A」タグの属性にcharsetなりencodingなりがあればいいなあと11日の日記に書いた。その後、川原雅好さんからメールをいただき、hreflangcharsetの属性がHTML 4.01にはすでに存在していることをお教えいただいた。IE 5.01SP2では期待通りの動作はしないものの、いずれはちゃんと動作するようになるかもしれない。いつも知識を授けてくださる川原さんに感謝。

2001/7/17
夏休みの短縮は可能か

小中高等学校の教室に冷房装置を備え付けてはどうかと意見を『朝日新聞』の「声」の欄で目にした。教室内の温度が30度を超えては授業に集中できない気持ちはわかるので、冷房を入れてもよいだろう。そのかわり、夏休みは2週間程度に短縮する。

暑くて授業にならないから休みにするのだから、冷房が完備されていれば休みは不要だ。学校を週休2日にしても、夏休みを短縮すれば授業時間は確保できる。また、特に共働きの家庭の保護者にとっては、子どもの休みが少ないほうが助かろう。もっとも、お盆などの宗教行事があるし、長期休暇の意義は認められるので、2週間程度はあってよい。

個性化とか多様化とかいうのなら、上のようなことは地域の判断で決めるのが理想である。

2001/7/16
見出しの好み

下(7/12)に掲げているような、LaTeXで一般的な見出しのデザインを、実は私はあまり気に入っていない。まず大きすぎる。しかし気にくわないいちばんの部分は、見出しと本文とのアキである。空きすぎではないだろうか。

LaTeXの名誉のために書いておくと、英文ではこのくらい空けるのが標準的である。しかし和文で、しかもSectionを左寄せにするときには、縦方向のアキはほとんど入れない。てきとうな書籍を手にとって眺めてみるとよいだろう。(おもしろいことに、Sectionを中央揃えにするときには、英文と同程度に空ける。これは、見出し自身が区切りとしての役割を担っているからであろう。)

これはHTMLでも同様で、H4などのタグを書くと、ブラウザー標準では必ずアキができてしまう。ちなみに、このページではH4とPのあいだを詰めている。

2001/7/15
まっすぐな音

ピアノの音(平均律)が実は正しい音階ではないと知ったのは、たしか大学に入って芥川也寸志『音楽の基礎』(岩波新書)を読んだときだと思う。当時は特に強い印象も受けずにいたのだが、今朝偶然にも純正律の音階を知った。平均律との違いについては、浅見秀雄さんの「純正律音階と平均律音階」に詳しい。森口岳雄さん「純正律と平均律」には、より具体的な例が掲載されている。

実際に純正律の音を聞くには、高梨正義さんの「純正律音楽工房」から「完全純正律音楽連続MIDIコンサート」をたどる。第10回コンサートのMP3ファイルを聞いてみるのが最も早い。もしくは、玉木宏樹さんの「純正律セミナー」の最下部付近にある「純正律と平均律の比較」を聞いてもよくわかる。

小さいころから10年近くエレクトーン(電子オルガン)を弾いてきた私は、平均律からはけっこう懐かしい響きを感じた。エレクトーンにはトレモロという音を波立たせる機能があったが、平均律の和音には微少なトレモロが常にかかっているように聞こえる。

いっぽうの純正律を表現すれば、まっすぐな和音とでもなろうか。結晶のような美しさがある。でも、ちょっと恐いという気分もする。不思議な感覚だ。

2001/7/14
540MBと640MB

MOディスクの容量のうち、540MBの価値がわからなかった。たいていのMOドライブは640MBまで読み書きできるのだから、540MBの媒体は必要ないだろうと考えていた。だが、私は誤っていた。

540MBと640MBとでは、セクターサイズがちがうのだという。前者はハードディスクと同じ512byteだが、後者は2048byteで、そのため640MB MOの読み書きには専用のデバイスドライバーが必要だという。540MBまでなら、MS-DOSフォーマットでもMac OSからそのままアクセスできるのだそうだ。同様に、540MBまでなら起動ディスクにもできる。

実際に確かめてみたかったので、Windowsフォーマット済みの540MB MOディスクを1枚買ってきた。Mac OS 8.6で確認、PCメディアとして正しく認識する。HFSでフォーマットしてシステムフォルダーコピーする。起動できる。640MBよりも100MB小さいものの、この2点は大きな長所である。

ところで、MOディスクの金属シャッターを見ると「OW」とあって、いつのまにOver Write対応のものを買ったのだろうかと焦ってしまったことを告白しておく。単に、上下逆さに見ているだけだった。

2001/7/13
長体とコンデンス

長体の位置づけを考える。たとえば明朝の長体をNFSS2の観点からとらえると、コンデンスに相当するのだろうか。いまは別の和文ファミリーとして登録しているが、widthの概念があるのだからそれを使うべきなのかもしれない。

従属欧文を探していて気がついたことは、和文書籍で長体にするのは明朝体や宋朝体で、ゴシック体を長体にする事例はそう多くない点だ。背表紙くらいだろうか。いっぽう欧文では、サンセリフのHelvetica Condensedはごく一般的に用いられている。CMフォントも、Sans SerifにはCondensedが用意されている。この差は何なのだろう。おかげで、明朝長体の従属欧文探しは難航している。見つからなければ、「貧者の」コンデンスを作るしかない。

2001/7/12
makejvfで長体、詰め組

makejvfの説明書を読んで、長体や詰め組にも使えることを知る。長体からやってみる。幅を8割にしたTFMファイルを作って、それに対応するVFファイルを作成する。実のところ、jarticleなどの小見出し(section)には中ゴシックBBBより見出しミンやヒラギノ明朝W6を長体で使ったほうが似合うのではなかろうか。

長体を使った例

上を見ればカナを詰めたくなるかもしれないが、プロポーショナルな詰めはかなり面倒だ。モリサワのPostScript和文書体だと、リュウミンL-KLと中ゴシックBBB以外のAFMファイルが入手可能かどうかもわからない。一律に詰めることはできるが……。

2001/7/11
IEに、あればいいなという機能

リンク先のcharsetなりencodingなりが指定できたらいいなと思う。charsetがなされていないために適切に表示されない海外サイトは、残念ながら少なくない。そこで、リンクをするこちら側で新規ウィンドウのエンコーディングが変更できたら助かる。たとえば<A href="http://www.nytimes.com" encoding="Latin-1">と書くと、ウィンドウのエンコードが勝手に「西ヨーロッパ言語」になってくれると便利だ。もしくは、<A href="http://www.nytimes.com" lang="en">で典型的なエンコーディングになってもいいけれど。


2001/7/10
Springer-Verlagの書籍は生協で買うのが吉か

生協の通販Springer-Verlagの書籍を2冊買う。はじめはamazonにする予定だったのを変更したのは、適用通貨が異なっていたからだ。生協ではドイツマルクで販売されるのに対し、amazonではUSドルで取り引きがなされる。今年に入ってからドルの1人高状態がつづいているので、マルクで買うほうが安い計算になる。

2001/7/9
私は8時に学校に行きます

地道にマジメに英語教育」という良質なサイトがあって、英語指導の道も奥が深いなと認識を新たにしました。「本棚」コーナーに並べられているいくつかの書籍は、ぜひ読んでみたいと思っています。

これまで英語教育を受けてきた中で最も大きな衝撃だったのが、I go to school at eight.なる英文の解釈を、高校を出て浪人しているときまで誤っていた点でした。この文は、学校以外の場所でおしゃべりなどをしている(発話時点で学校にいるのならgoとは言わない)場面で「私は8時に学校に行きます」ということを示しています。日本語訳にするだけなら何の疑問も抱かないし、だからこそ無知でも済んでいました。

私の誤解は、「8時に学校に行きます」を「8時に家を出発すること」だと勘違いしていた点にあります。現実には「8時に学校に到着すること」であると霜康司・刀祢雅彦『システム英熟語』(駿台文庫、1991年)を通じて知ったときには、にわかには信じられずネイティブの英語の先生に聞きにいったほどです。その後しばらく、こんな簡単な英語の意味――より正確には前置詞toの意味――も知らなかったなんてと、ずいぶん落ち込みました。

ひさしぶりに岩垣守彦『日本人に共通する和文英訳のミス』(ジャパンタイムズ、1993年)を読み直していると、同じ例に遭遇して懐かしく感じました。「だれかが困っているのかもしれないと考えた彼は,音を出している車のほうへ行ってみました。」の模範訳は「Thinking someone might be in trouble, he went toward the car from which the noise was coming.」で、towardのかわりにtoは使えません。「went [walked] to the carは『〜と考えた』時すでに車の所へ行っているということになる」(p.184)からです。

2001/7/8
Macが速かった時代

このまえPowerBook 5300cを使う機会を得ました。OSはMac OS 8.1でしたが、とにかく遅い。PowerMac G4/400 PCIでMac OS Xを使うとけっこう遅く感じますが、その比ではありません。思い起こせば、G3以前のMacintoshはどれもあまり高速とは言えませんでした。ひょっとするとPowerMac G3の販売時期は、ハードとOSとのバランスがとれていたMac史上類い希な時代だったのかもしれません。

2001/7/7
日本語専用表記の謎

日本語版しか用意していないホームページで「Sorry. This contents is Japanese only.」と断わっている文は変だという指摘がχさんの掲示板でなされていた。なるほど、かなり変だ。まず、contentsが複数形なのにisで受けるのはおかしい。thisもtheseとすべきだろう。それらを直しても、内容=日本語/日本人という文は意味をなしていない。「Almost all pages are written in Japanese.」なら許容できる。「Japanese only.」だけだと日本人専用みたいだ。

より根元的には、「このページは日本語専用です」ということを英語で表記する場合、上のような書きかたをするのだろうか。私には、onlyがとても気になる。たとえばrequireを使って「日本語が表示できるソフトウェアが必要です」みたいな婉曲な文章のほうが自然ではないかしら。自然でなかったらごめんなさい。

さらに根元的には、冒頭の英文はその目的をよく果たしているのかもしれない。というのは、上の拙い英語を見れば、このサイトの運用者が日本人で英語が書けないことが暗に伝わるからだ。とまれ、上のような表記のページはそこかしらにあるみたいで、どこから波及したのか気になる。

2001/7/6
パソコンオタクの買いもの術

メモリーを買ったつもりで服を買う。

2001/7/5
タイプバンクのビットマップは?

Windowsにも良質なビットマップ書体があればと思っていた。MSゴシックは16×16ドットには些少な不満しかないが、小さくするとOsakaよりも見づらい。だから、タイプバンクのビットマップ入念に作られていると知って、たいへん嬉しく思った。ソニーの「CLIE」というPDAに用いられているそうで、わかる人はわかっているようだ。Windows版のTrueTypeが「DEX WEB」からオンラインで購入できるようになるらしい。

2001/7/4
「ゆとり」の実質

アメリカの高校世界史教科書World History: The Human Experienceを個人売買で手に入れた。米国でよくある教科書サイズ(幅×高さ=215mm×260mm)でフルカラー、1036ページ。「ゆとり教育」の教科書とは、ほんらいこのようにあるべきだ。もっとも、この1冊で目方が2.2kgもあるから、持ち運びには不便である。

うしろからパラパラめくっていたら、日本に関して以下のような言及があった。

Japan’s growing affluence also brought demands that it spread its wealth to other countries. For example, in 1990 one African nationalist leader, Nelson Mandela, stated bluntly that Japan’s financial aid to African countries trying to overcome poverty was insignificant.
And that same year, when Iraq invaded its tiny neighbor Kuwait, the United States called upon Japan to help force Iraq out of Kuwait. After considerable debate, Japan responded with financial help to countries affected by the conflict. However, Japan did not send troops, in part because of Article Nine of its constitution. Referring to World War II, one member of Parliament said, “After that experience, we should never again aim a gun at foreign peoples—even the people of Iraq.”

2001/7/3
書籍を安く買う

(1)古本屋を利用する。(2)他人から安く買う。(3)大型カメラ店のポイントを使用する(10%引)。(4)生協で買う(10%引)。(5)金券ショップで図書券を購入し本屋で使う(4〜5%引)。最後の案は、人から教えてもらうまで気がつかなかった。実行に移そうとした翌々日に、生協のICカード(電子マネーを入れておくやつ)で最大10%の還元をやっているのに気がつき、そちらに流れてしまった。

2001/7/2
本を収納する箱、要りませんか?

六畳一間の我が家では、本の収納が悩みの種となっている。定番や新規購入物は本棚やタンスに入れ、あふれたら段ボール箱にしまう。段ボール箱に入れるアイデアはけっこう便利で、(1)引っ越しなどの際にすぐに移動できる、(2)積み重ねて置くことができる、といった利点がある。

ところが問題もある。頃合いの大きさの段ボール箱が、容易には見つからないのだ。新書や文庫本には市販の収納箱が流用できるので、さほど苦労しない。問題なのは教科書(A5)サイズと単行本(B6、四六判)サイズで、いずれもよい箱がない。ひさごがかつて箱を販売していたが、1箱600円以上もした上に、たいして丈夫ではなかった。

「ないものは作れ」が世の習いであることを思い出し、自前で注文しようと考えたのは1週間ほど前のことだった。段ボール業者の方に相談して、以下のような形式を提案していただいている。ミカン箱のたぐいよりも開閉が楽で、かつ文書保存箱よりも耐久性が強く重ね置きもできるという。

本の収納箱

現在考えていることは、(1)大きさは教科書サイズ対応で、幅×奥行き×深さは320mm×220mm×160mmが第一候補。この幅は、ほぼ「郵パック」の中型に等しい。書籍を詰め込むと、約7kgになる。第二候補として、幅を370mmとしてミカン箱に合わせる案もある。この場合9kg。(2)上の写真にある取っ手は不要だと考えている。ここから入る埃は侮れないものがあるし、7kgだったら取っ手がなくとも難なく持てるからだ。

コストは、最初の抜き型作成の費用(これが4万円弱する)の「痛み」に耐えれば、高くて約400円、数多く注文すれば150円ほどになる。やがて単行本サイズやB5変形サイズ(計算機関係の書籍で多い)もできたらと思っている。で、このページを読んでくださっている方にご相談申し上げたいのですが、上のような箱に興味はございますでしょうか。関心がございましたら、ぜひ私までメール(nabesin@10days.org)をお送りください。

2001/7/1
リバタリアニズムの入門書から学んだこと――その2

同書で記述が見られなくて不思議に思ったのは、「医療」に関してである。福祉の話題は若干あるが、「絶対的貧困の救済」(p.123)といった最低限の福祉のみを認めるていどだ。国家は必要悪だそうだし、市場をもっと活かせというのだから、医療にも市場原理を徹底させるべきだと解釈しておく。

医療では1割負担とか3割負担とかいうように、医療費の全額を患者が負担しているわけではない。この補助だけで、実際には毎年20兆円ほどが国庫から出ている。リバタリアニズムの主張からいえば、医療にかかる政府支出は無駄であろう。というわけで、医療費の補助を全廃して市場原理を徹底させると仮定する。このとき、何が起こるだろうか。

おそらく、患者の所得水準によって医療水準が大きく変わるだろう。所得水準の高い患者は腕のいい医師のところへ行き(医師も格付けされるようになるだろう)、そうでない者は藪医者へ通う。もっと影響が大きいのは癌などの高度な医療で、高所得者には最新の治療が施されるいっぽう、低所得者には安楽死が選択される。必要な臓器はオークションにかけられて、高額落札者から移植手術が行なわれる。

上のような議論を悪夢と考える向きもあるかもしれない。しかしながら、財政の圧迫と今後の医療費の増大とを考慮に入れれば、これほど極端ではないにしろ似たような現実は起こりうる。小泉内閣は、医療分野をどう改革するつもりなのだろうか。