2001/6/30
Windowsに手こずった日

自治会室のPCにWindows 2000を入れるよう頼まれる。私と縁のある方の組み立てで、いまは学校から離れている当人しかケースを開けたことがないという。Windows 2000をインストールしようとすると、STOPエラーが起きるのだそうだ。というわけで参上する。フルタワーだ。Matroxのデュアルモニタ対応のビデオだ。ケースを開けるとDual Celeronだ。なのにOSはWindows 98(複数CPU未対応)で、Windows 2000の評価版が入っている。難航しそうな予感が当たり、STOPエラーを避けるとIDEのHDが見つからないと言われる。とりあえず頓挫。(その後、MS-IMEで日本語変換ができなくなったという話をいただき、さらにショック。)

仕事はまだある。次に留学生センターCAI室のNT Workstation(エプソン)でブルー画面が出る件を見に行く。これは前も同じ症状があった。「winsrv.dll」が見つからないやつだ。修復ができないことも前回と同様。利用される方が、シャットダウンの準備中に待てずに電源を切ってしまうために起こるようである。ただ、軽く触れるだけで切れてしまう電源ボタンにも難があると思う。OSの再インストールと各種設定に3時間ほど費やす。

きょうはまだ仕事がある。資料閲覧室(仮名)に置いてあるPCで、規定のIPアドレス(xxx.xxx.xx3.xxx)だとゲートウェイにすら出られない。xxx.xxx.xx4.xxxだとOK。自宅から持ってきたPCでも同じ症状であることを確認する。こんなの、(1)規定のIPアドレスがまちがっている、(2)ルーターの設定がおかしい、くらいしか私には思いつかない。責任者がいないので、とりあえず放置。

2001/6/29
Cinema Displayは私には釣り合わなかった

立川の大型パソコン店で、腕時計の電池交換をお願いする。15分待ちとのことなので、その時間でひさしぶりにMacintoshコーナーに足を運んだ。幸運にも、対角22インチの液晶ディスプレイCinema Displayが空いている。実はまだ、落ちついて画面の前で操作したことがなかった。

2分ほどマウスを動かしたが、しっくりこない。どうも、画面が大きすぎるようだ。私は目が悪く、室内用のメガネでは20cmほどしか焦点が合わない。近づきすぎるかっこうになるから、22インチもあると画面が視界からあふれてしまう。まあ、身分不相応なのだろう。

2001/6/28
リバタリアニズムの入門書から学んだこと――その1

森村進『自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門』(講談社現代新書、2001年)を見る。私自身がリバタリアニズムにどれだけ疎いかというと、まずこの語がlibertyから来ていることを知らなかったくらいの低次元さだ。生協で平積みされていたので、つい手にとってしまう。

リバタリアニズムは、自己所有権を基礎として諸個人の「自由」を最大限に尊重する立場であるらしい。表紙の文句を借りれば、「裁判は民営化できる、国債は廃止、課税は最小限に、婚姻制度に法は不要」。きょうは「その1」ということで、感心した語句の引用しかしない。疑問点は、「その2」以降で記す。

また、これは少々意外に感じられるかもしれないが、著作権や特許権や商標などの無体財産権も、リバタリアニズムが認めにくいものである。……中略……無体の財の場合は、創造者以外の人がそれを利用しても、創造者による利用の自由を妨げるわけではない。……中略……かえって無体財産権は、社会一般の人々がその財を利用する自由を、創造者の自由と両立するにもかかわらず、人工的に制限していることになる。(p.44)
自由経済は、人々に豊かな財を供給することによって、金では買えないものを減少させるどころか、逆に増加させていることになるだろう。なぜなら、人は豊かになればなるほど、自分にとって特別に重要な自分の財を、他の誰も買い取ろうとは考えなくなるほど高く評価するようになるからである。……中略……今日の日本で臓器売買がほとんど存在しないのは、日本人がそれだけ豊かだからである。発展途上国に臓器を売る人々がいるのは、彼らが貧しいからである。彼らに対してすべきなのは、彼らが(十分な情報に基づいて)臓器を売ることをわれわれの価値観に基づいて禁止して彼らが困窮から抜け出す機会を奪うことではなくて、市場経済への障壁を廃止して彼らを豊かにすることである。(pp.69-70)

2001/6/27
Type1フォントをWindowsにもっていけなかった話

Linotypeでは、フォントを5ライセンス単位でしか購入できない。Adobe Fontsは日本での営業がはじまっていないので、MyFonts.comなりFontExplorerなりでLinotypeからフォントを買わざるをえない。というわけで、Mac用に買ったOptima一式をWindows 2000で使うことを考える。

なお、Windows版のTeXで使うことは容易である。MacのType1フォントをpfa化し、TFMファイルとVFファイル、FDファイルを作成して適当な位置に置くだけ。しかもOptimaなどの著名で比較的古いフォントはCTANにTFMやVFがすでに存在しているから、フォントをプリンターにインストールするのであればpfa化すら必要ない。今回やってみたいのは、Wordなどの一般的なアプリケーションで使えるようにすることだ。

pfa化のあとでpfb化し、名称を変更する。文字セットの後半128文字が少し異なると思っていたのだが、予想に反してAFMはMacとWindowsとで共通だったので、Windowsのまま。*.infファイルは「ATM INF File Format」を見ながらでっち上げる――までもなく、Windows版のFontExplorerから流用する。以上の作業をしたのち、「フォント」フォルダーから「新しいフォントのインストール...」をする。

これで、表面上はうまくいく。少なくともWordでOptima*4が選択でき、画面上にラスタライズもされる。しかしながら、印刷やPDF化の段になると、「OffendingCommand」が出てしまう。現在のところ理由がわからず。

2001/6/26
右手と左手

利き腕である右手にくらべて、左手には力が入りにくい。むかし握力を測ったときには、10kgほどちがっていた。以前お稽古していたエレクトーンは右手偏重の鍵盤楽器で、それに加えて習字もやっていたから、右だけが器用になってしまったのだろう。

スタートレックのビデオで、バルカン人が「長寿と繁栄を」の挨拶をしていた。人差し指と中指、薬指と小指をつけ、中指と薬指を離す。試してみる。右手は楽にできるが、左手は薬指が動かない。左右の手のバランスはよいほうがいいだろうから、これからお米は左手でとぐことにする。

2001/6/25
クモの木

雨上がりの午後、あるお宅で庭木として植えられている低木の常緑樹がきらきら反射しているのに気がつき、近寄ってみた。反射しているのは、水滴をふくんだクモの巣である。(写真があった。一番下の「これ、なぁ〜んだ!」。)数えてみると、49本もある。それぞれの巣にはちゃんと主がいたが、どれも同じ種だった。ひょっとすると、親子兄弟なのかもしれない。

2001/6/24
「等幅」への愛憎

Windowsを日常的に使うようになってから、等幅フォントを使う機会が増えた。Macの書体は基本的にラテン文字だけのプロポーショナルだが、WindowsのP書体は日本字までプロポーショナルで、使い勝手がよくない。まだ等幅のほうがよかろうというのが当初の契機だった。それが今では、TeXを使うまでもない簡単な文書やFAXやらも、基本的には等幅フォントを使っている。全角/半角で文字幅がはっきりしていて楽だ。

ワープロ専用機を使っていたころは、もちろん等幅しか出せなかった。Times RomanやPalatinoが用いられたMacintoshの高品位な欧文出力は、憧れの存在だった。どうも等幅フォントに対しては一種の愛憎めいたものがあって、最近はようやく冷静に使い分けられるようになったかなと感じている。

2001/6/23
「P」をとる

Internet Explorerの設定で、日本語のHTMLを表示するフォントを「MS Pゴシック」から「MS ゴシック」に変えた。これは私の発案ではない。狩野さんのページで「MS ゴシック」のほうが見やすいようなことが書かれてあって、私はそれを追っただけである。変更してから数日経って、たしかにPゴシックよりも具合がよいと感じる。(なお、Mac版IEでは表示フォントを細明朝体にしている。かなり読みやすい。)

2001/6/22
A4横置き2段組PDF

Adobe Type BasicsのCD-ROMに付属する「Typography Primer」というPDFファイルのレイアウトに舌を巻いた。横置きで2段組になっているのがポイントだ。縦置きのPDFは横長の画面と相性が悪く、拡大表示をすれば一覧性が失われるいっぽう、ページ全体を表示させると文字が読めなくなるほど縮小されてしまう。横置きだとそれがないので、画面でそのまま読んでも苦にならない。

この発想は、横組の日本文にも有効だと思う。それどころか、A4横置き2段組みはPDF用横組日本文の標準体裁にすらなりうる。もともとA4縦置きは、日本文にはなじまない大きさだと感じていた。B5のほうが数段ましだ。ところが横置きにして2段組で使えば、横組での最適寸法である(と私が信じる)A5判のように扱うことができる。日本文の場合、以上のような新たな利点が横置きにはある。

簡単な実験に、PDFファイルlandscape.pdf(5KB)PDFファイルportrait.pdf(5KB)とを作ってみた。画面上では、明らかに横置きが優れていると感じられる。印刷するときには、「用紙サイズに合わせる」オプションを有効(デフォルト)にして若干の縮小をかけたほうが私にはきれいに映る。文字はリュウミンでしか見ていないから、MS明朝その他での結果はわからない。気に入られたら、レジュメにどうぞ。

以下備忘録。LaTeXでは、documentclassのオプションにlandscapetwocolumnを入れると、横置き・2段組になる。上の体裁は奥村先生のjsarticleをちょっと変更(行送りを16ptから18ptに、またjisの0.961倍を1.000倍に)しただけの手抜きである。プリアンブルでの調整は、

\topmargin -10mm
\oddsidemargin 0mm
\setlength{\columnsep}{5zw}
\textwidth 225mm
\special{dviout -y=A4L}

とした。(最後のspecialは、dvioutで自動的に横置き表示にするため。)なおPDFを作成するとき、dvipdfmでは-lを、dvipskでは-t landscapeをオプションに加える。Distillerで特に新しいジョブオプションを設ける必要はない。

2001/6/21
奇遇

ヘルマン=ツァップの「Zapfino」は美しい書体だ。この書体の作成をツァップに持ちかけたのはデビッド=シーゲルで、彼はもともとクヌースのもとでAMS EulerのMetafontプログラミングに取り組んでいた。さまざまな事情があって、現在シーゲルはWeb関係の職についている――という話を朗文堂の坂本さんから聞いてピンときた。『Webサイト・デザイン』(日経BP社、1997年)のシーゲルではないか。たしかに著者紹介には、上のような記述がある。なんと、Tektonの作者でもあるという。まったく、思いもかけない偶然だった。


2001/6/20
清水式「一票の格差」解消法

『朝日新聞』2001年6月15日夕刊「窓」より。衆議院の一票の格差の是正にどう取り組むかという話題。

東京大学大学院助教授の清水明さん(物理)は、一票の格差をゼロにするユニークな方法を思いついた。/選挙区ごとの有権者数を同じにするのではなく、議員の影響力の方を有権者数に応じて変えればいい。いわゆるコペルニクス的発想の転換だ。/各選挙区の有権者の平均数が10万だったら、有権者10万の選挙区から当選した議員は国会で1票の投票権を持つ。15万の選挙区だったら1.5票、8万なら0.8票だ。/採決のとき票の数え方が面倒になるが、「電子化投票にすれば簡単に解決する」と清水さんはいう。

おもしろい。さらに変形して、選挙区の有権者数ではなく投票総数にしたらどうだろうか。より多く投票した地域の意見がより強く反映されるならば、住民が投票する動機付けになる。

2001/6/19
「新しい数学教科書」雑感

歴史教科書のついでに、志賀浩二『中高一貫数学コース 数学1』(岩波書店、2001年)にも目を通しておく。こちらはそれほど著名でもないかもしれないので広告から引用しておくと、中高一貫校向けに「学習指導要領の進み方にはとらわれず,数学本来の考え方や相互の関係を総合的に判断し」て執筆された、いわば私家版教科書である。教師の配るプリントみたいなものだ。さすがに志賀先生ともなると、プリントも写植になる。

手元にあるのは第1学年用の教材だが、たしかに指導要領にはとらわれておらず、級数(高1)とか2次方程式(中3)とか2項展開(高1)とか円周角(中3)とか1次関数(中2)などが出てくる。もっとも、このような書き方はあまり適切ではなく、構成からして一般の教科書とはちがう。単元別ではなく、テーマ(志賀先生の言葉ではコース)別になっている。この教科書では数量部門と図形部門とがあって、それぞれにコースがついている。数量・図形を並行して教えることを期待しているらしい。

内容について評価すれば、最初の数の部分が重すぎる感がある。オーダーとか有理数の稠密性を忍ばせている点で意欲的なのだが、中学生が最初に出会う分には抽象度が高すぎる。実数の連続性で挫折する大学1年生と同じ経過をたどらないことを祈るばかりだ。他のテーマに関しては、すなおな展開でよいと思う。特に、2項展開を早い段階で入れたのは高く評価したい。

記述の中には常用漢字を無視していたり、送りがなが古風だったり、生徒にはわかりづらいモデル(減法のモデルは計算尺を彷彿とさせるが、あまり直観的ではない)があったりするのだが、全体的にゆったりとしていて冗長度が高く、本来の意味で「ゆとり」が実現されている。戦後の日本の教科書は、所得が増えるにしたがって薄くなっていくという奇妙な変遷だったから、203ページのこの教科書はよい。しかしながら、もっと演習を増やし、厚くてもよかった。べつに全部こなさなくてもよいのだから。もっともっとムダを増やすべきだ。

志賀先生はこの私家版教科書を実際の授業で使う予定だと述べておられる。週何時間の予定なのだろう。公立中学校の週3時間ではまず無理で、せめて6時間、できれば演習を入れて7時間くらいないと駆け足になってしまう。少ない時間で多くの知識を詰め込むのは教科書の本意ではないだろうから、予定時間数を書いておいてほしかった。また、第2学年以降の展開がいっさい触れられていないのは困る。せめて見取り図を示しておいてくれないと、この教科書を使って授業をすることはできないだろう。

2001/6/18
pTeXとHTML/CSS

前者がさすがだと思わせるのは2点ある。ひとつは改行のあつかい、いまひとつは全角幅についてだ。

pTeXでは、改行コードのふるまいを直前の文字で場合分けしている。すなわち、改行コードの前の文字が和字ならばコードを無視し、ラテン文字ならばホワイトスペースとしている。ところがHTMLでは改行コードの扱いはホワイトスペースだから、電子メールのように改行を入れてHTML文書を書くと、改行のところで空白ができてしまう。

もうひとつ。CSSで、全角幅(pTeXならzw)がないのがつらい。この文書でもインデント(段落頭下がり)をCSSで記載しているが、ポイント指定となっていて、大きな画素で文字表示させている場合にはアキが少なくなる。かわりに「 」(全角空白)を入れればすむ――話でもない。MS Pゴシックの全角空白は全角幅ではないからだ。CSSにはけっこう西洋文化依存の項目があるから、べつにzwがあってもよかろう。ルビもできたのだから、いずれ採用されるかしら。

2001/6/17
新ゴMのつづき

書き忘れていたこと。GhostScript+GSviewで新ゴMを表示するために、kconfig.psに和文フォントとして登録しておく必要がある。書きかたは、当該ファイルを見ればわかる。ついでながら、GhostScriptを6.1から7.0に、GSviewを2.9から4.0に更新して、アンチエイリアス表示や複数部印刷への対応に驚いた。

12日に書いた「思うところ」とは、本文中に新ゴMが入ると太すぎるように見えることだ。新ゴMはリュウミンL-KLより太いだけでなく、仮想ボディを広く使った書風である。新ゴばかりが目立ってしまって、このままではけっこう読みづらい。

応急措置として、スタイルファイルで新ゴMを約90%の大きさに縮小して組んでみた。(本来ならVirtual Fontで対処すべきだろう。)ベースラインが下がりすぎているものの、読みやすくなった。中公新書などの書籍ではゴシック体の部分が小さい級数になっていたのを思い出し、ちゃんと考えてあるんだなと感じた。

LaTeXの多書体でいつかやってみたいことは、段階的にウェイトが変わるような仕組みである。Computer Modernでは、cmr5とcmr10とでは字形がちがう。同じように、和文書体もサイズに応じた適切なウェイトを置きたい。24ptのリュウミンL-KLは、活字としておかしいから。いまはまだPostScript書体が高いので、いずれ安くなったときの楽しみにとっておく。

2001/6/16
『新しい歴史教科書』雑感――その2

『新しい歴史教科書』をめぐる近隣諸国との軋轢を聞くにつけ興味深く感じるのは、「古い歴史教科書」よりこちらのほうがよほど韓国の教科書に近い点だ。韓国の国定歴史教科書が伝える「国民の誇り」は、まさにこの教科書が模範とすべきものだろう。問題は、「国民の誇り」が公権力によって教化されねばならない状況にあるかだ。

公権力が国民の統合をはかる場合には、次の2通りがある。ひとつはフランスやアメリカ合衆国のように属地主義をとる共和制国家の場合で、国家の成員たる選択(i.e. 国籍取得)を促すための教育が行なわれるのは妥当なことだ。いまひとつは中央政府の権威が弱く国民に統合意識がはたらいていないときで、発展途上国の軍事政権が大衆を束ねるのが典型的な例である。韓国は、つい最近まで軍事政権だった。

そうして現在の日本社会を見てみると、小熊英二の言うとおり戦前よりもむしろ戦後のほうが単一民族神話は根強いようだ。「一億火の玉」「一億総懺悔」の「一億」のうち3000万が朝鮮半島、1000万弱が台湾を指していたことに気づいている人は、それほど多くない。移民が数千万のオーダーで流入すれば事態は変わるだろうが、望み薄だ。だから、前者の場合は考えにくい。

後者の場合は、ありうると思う。現代の平均的日本国民から経済力を取り除けば、民主制への理解度は韓国・北朝鮮と大して変わらないと私は感じている。小泉現象に対する小沢一郎のコメントは正しい。仮に日本が先進国から転落して経済力で国民をつなぎとめることができなくなったとき、この教科書の出番がやってくるかもしれない。

韓国では文民統治が始まって国力が増すにつれ、歴史教育への相対的比重が弱くなった。(それを民族色の強い『朝鮮日報』が憂慮しているが、止められまい。)中国でも、一部の都市階層では国史をなくして世界史の中に中国史を取り入れ、被害意識にあふれる近代史が冷静なものへと変わっているという。経済が成長している国家とそうでない国家とでは、歴史教育の方向性が逆さになるようだ。

2001/6/15
『新しい歴史教科書』雑感――その1

自分で買うのはもったいないので、χさんから拝借してざっと読む。多色刷りなので、お金はかかっているだろう。コスト削減のためか、写研の電算写植ではなくモリサワ書体(目次・本文がリュウミンで付録が太ミン)を使用したDTP制作だった。おかげで、脚注など一部のレイアウトが崩れている。

内容に関して言えば、この教科書が記述に一貫性を欠くのは事実だ。現代からの固定した視点で過去を評価するのを戒めているにもかかわらず、特に文化に関しては現代からの一方的な評価が目立つ。本文に出てくる「とんでもない」などという表現も、現代の著者の価値観が出ている。(ちなみに私は、現代人は現代の視点でしか評価できないと諦観している。)

いくつかの間違いが指摘されているものの、それはそれで教育的に望ましいことだと思う。信じがたいかもしれないが、大学生のあいだでも教科書の記述を絶対視する方がいて辟易することがあるので(「なぜそれが言えるのですか?」「この本に書いてあるからです」)、中学生のころから免疫をつけていただくのは結構だ。おもしろく読めるとか記述がユニークだなどというのは大人の意見であって、この教科書にしても読み通せる中学生はごくわずかだろう。

2001/6/14
Windows 2000 SP2メモ

Windows 2000 SP2をインストールしてから、STOPエラーが発生することがあるようになった。一般ユーザーをログオフしたのち管理者ユーザーでログオンした直後に発生し、ログオンの音楽が鳴りっぱなしになることもある。画面表示は以下のとおりで、ヤマハのサウンドドライバーらしい。(追記:ちがうかも。)

*** STOP: 0x00000050(0xFF7D3814,0x00000000,0xEF9D8201,0x00000000)
PAGE_FAULT_IN_NONPAGED_AREA
*** Address EF9D8201 base at EF9CA000, DateStamp 3a7a0bfc - wdmaud.sys

010617追記。あれから、Internet Explorer起動時など上以外の場面でもSTOPエラーと対面するようになった。常に「wdmaud.sys」がらみである。我慢できなくなり、SP2を取り除く。その後セキュリティパッチを11個当て直した。きょうが日曜日でよかった。

2001/6/13
女王アリの選別

ひと月ほど前、自転車置き場の脇にあるアリの巣に、女王アリらしきアリがいた。女王アリは巣に入ろうとするのだが、働きアリに追い出されてしまう。奇妙に感じ観察してみると、なんと巣の周囲に女王アリらしきアリがもう2匹いるではないか。それらは巣には戻ろうとせず、草むらの中に消えていった。巣の移動だったら他のアリを従えているはずなのだが、単身である。尻が重そうで、動きが鈍かった。

以上の話を妹に電話でしていると、それは女王アリを選別しているのだと教わった。アリはいざというときのために女王アリの候補となるものを10匹ほど養育しておき、それを3〜4匹にまで絞り込む。いよいよ本命の1匹が決定されると、他の女王アリ候補は追放されるという。私が見たのは、その瞬間だったわけだ。出ていった女王アリ候補は、自分で餌をとってゆけただろうか。

2001/6/12
新ゴMの日々

600dpiのプリンターでリュウミンL-KLを出力すると、けっこう文字が太くなってしまう。リュウミンR-KLに近いその印字結果は嫌いではないが、本文に中ゴシックBBBが入ると困る。明朝が太った結果、ゴシックが目立たなくなってしまうからだ。それで、もうひとまわり太いゴシック体がほしいと思い、新ゴMを購入した。実際にはRかMかで、少し悩んだ。TeXで使うことが主目的なので、時代錯誤にもOCFフォントである。

知っている人には著名なとおり、OCFフォントのプリンターへのダウンロードは制約(PDFファイルモリサワ提供アドビ提供)がある。FDD非搭載機種はダメで、OSは7.1、8.0、8.5が望ましく、8.1は不可。7.5〜7.61は別途ソフトが必要。しかたがないので指導教官からPowerBook 5300cを借りて、そこにOS 8.5をインストールし(正確にはちょっとちがって、8.5のCD-ROMから“システムフォルダ”をコピーし、足りない分を8.6から取ってきた)、EtherTalk経由でフォントをダウンロードした。

Macから印刷してみてインストールが正しく行なえたのを確認したのち、TeXからの出力を試す。まずはdvipsのpsfonts.mapに手を入れて、「gbm ShinGo-Medium-H」とする。出力結果を見て思うところがあったものの、少なくとも正常に出ている。思うところに関しては、のちに触れる。

次にWindowsのPSドライバーで「MSゴシック」の代替書体を「中ゴシックBBB」から「新ゴM」に変更する。これにはPPDファイルを編集すればよい。c:\WINNT\system32\spool\drivers\w32x86\3\APLWGRJ1.PPDを修正する。Windows 2000では、PPDファイル(ASCII)をもとにPSCRPTFE.NTFを参照して日本語フォント名を確定し、BPDファイル(Binary)を作成するらしい。記述方式がよくわからないものの、試行錯誤の末にAdobe DistillerのPPDファイルを一部流用して、

*Font ShinGo-Medium-83pv-RKSJ-H: 83pv-RKSJ-H "(000.000)" Adobe-Japan1-2 Disk
*Font ShinGo-Medium-RKSJ-H: RKSJ "(000.000)" Adobe-Japan1-2 Disk
*Font ShinGo-Medium-RKSJ-V: RKSJ "(000.000)" Adobe-Japan1-2 Disk

とした。OCFなので、90msは存在しない(はず)。これで、代替フォントで新ゴMが選べるようになる。MSゴシックはW5だったと思うので、中ゴシックBBBによる置き換えでは少々線が細い。トランジショナルをモダンで置換する点は望ましくはないが、視認性を優先した。

少々長くなりすぎたので、つづきは明日以降の欄に書こう。

2001/6/11
液晶ディスプレイ用フィルター評

ノートパソコン用ディスプレイフィルター「Efilter N1」の使用感を結論から書く。悪くはないが、よいという確信ももてない。いまはお守りていどに使っている。なお、取り付けているノートパソコンは日立FLORA 220FX NP3。液晶のサイズは12.1インチで、解像度はXGAである。

遠目にしたとき、特に文字が判読しやすくなる感があるのは事実だ。逆に、5cmくらいの距離で見ると、白地の部分からRGBがモアレのようになって見える。タッチパネル付き液晶のような感じで、あまり気味のいいものではない。いま気がついたのだが、メガネを通すとモアレが強く見える。

ひとつ気に入っているのが、フィルターによって色温度が少し下がる点である。もっとも、これはAdobe Gammaでも下げられるので、ないと困るわけではない。(Windows標準の色温度9300Kだと私は疲れるので、いまは7500Kで使用している。日立の液晶パネルは、見る角度によって白の赤みが変わってしまう。)

悪い点は、薄型ノートPCだとキーボードの跡がフィルターについてしまうことだ。あと、いちどゴミが中に入り込むと、たいへん取りづらい。さらに、いちど取り外すと、装着がむずかしい。両面テープではりつけるのではなくピンで留める装着形式だから次のパソコンにも流用できるかと期待したが、そこまで保ちそうにない。

実際に目が疲れにくくなっているか。それはわからない。東レのページには実験結果が出ているけれど、あれは被験者の人数や使用した液晶パネルの詳細が書かれていないので、広告以上のものではない。バイオライトは絶大な効果があったので他人に薦められるが、このフィルターの推奨はためらわれる。


2001/6/10
書体と個性

字游工房の鳥海修さんのおしゃべりを聞きに行く。新しいJK明朝について。書体の特徴を平成明朝、ヒラギノ明朝と比較したあと、その後の展開に関する心づもりをおっしゃっていた。某定番活字をもとにしたJK明朝は、ヒラギノよりもかなが小ぶりで、縦横差が大きい。縦組本文のための書体だ。この書体はあまり販売したくないらしいが、その場合にはイタリアのヴァルドネガみたいに組版までやらないと煩雑そうだ。ただ、美しい組版に価値を見いだしてくれる会社がどれくらいいるだろう。

JK明朝と直接は関係ないけれど、ヒラギノ明朝2での工夫もおもしろかった。単にウェイトを細くしてかなを小ぶりにしているだけではなく、たとえば「り」などの位置を変えているという。Virtual Fontでひらがなを一律に縮小すればリュウミンL-KSが作成できるかと考えていたのだが、それは大きな間違いだった。モリサワの電算写植のページで確認すればわかるとおり、けっこう細かい修正がほどこされている。

私の隣の席は府川充男さんだったので、要らないことをしゃべるのは畏れ多く、ずっと黙っていた。鳥海さんの話では、府川さんが今年の正月に、かつてハレの文字だった活字が、今ではすっかりケの文字になっている――というようなことを述べていたらしい。ハレの文字というのを公の文字だと解釈すればよいかもしれぬ。署名や手紙で行なう手書きの文字は、本人をアイデンティファイするための私の文字だ。とすると、公の文字の役目は逆に個性を出さぬことになる。書体は没個性を目指すべしというのが、府川さんのいいたいことだったのだろうか。デザイナーは自ら私的な文字を作成することを放棄して、本来公の文字だった活字を私的に使う状況を、ケの文字になっていると指摘したのかしら。

2001/6/9
票の交換

労働党が大勝した。好みの自由民主党が議席を増やしたのを嬉しく思っている。こんどの選挙で興味深かったのは『朝日新聞』6月6日に出ていた記事で、インターネットのホームページを通じて票の交換が行なわれていた点だ。完全小選挙区制だから、死票が多い。自分の1票を少しでも有効に使うために有権者がとった行動を、政党は黙認しているという。金銭が絡まないかぎり法的問題はないそうだ。選挙協力を政党ではなく有権者が行なう時代が来ているのかもしれないが、契約が正しく履行される保証がまったくないので、どれくらい広まるかは未知数だ。

2001/6/8
HP製プリンターに接続する

留学生センターの計算機でWindows NT 4.0をインストールし直したものがあって、それにHP DeskJet 970Cxi用のドライバーを導入する。(1)プリンター直結ではなくプリントサーバーを介している点、(2)この計算機にはNICが2枚刺さっている点に手こずった。Windows NTの「ネットワーク」コントロールパネルでNICごとに各種プロトコルの優先順位がつけられることを今回はじめて知る。

試験印刷して、カラー出力が行なえていることを確認する。きれいに出ている。黒白グラデーションの帯をじっと見つめていると、ごく薄い灰色の部分がシアンとマゼンダとのドットで表現されていることに気がつき、妙に嬉しくなった。

2001/6/7
なぜ「二次」が「quadratic」なのか

二次形式のことを英語で「quadratic form」ということを習ったとき、奇妙な気がした。「quad」で思い浮かぶ数字は4だからだ。MacintoshにQuadra 700と900が出たとき、搭載MPUがx040であることに由来した名前だというのを『MacJapan』で読んだ記憶がある。

だが、二次形式はたしかに二次であって四次ではない。やがて二次曲線や二次方程式の二次も「quadratic」と呼ぶことを知り、おかしいのは和訳ではなく英語ではないかと考えるに至った。英語の辞典でquadraticを引いても、「Of, relating to, or containing quantities of the second degree.」とある。

三次方程式が「cubic equation」だと知って、自分の考えの至らなさに気がついた。直訳すれば「立方方程式」となろうか。「quadratic equation」は、「平方(四辺形)方程式」という感じなのだろう。そのわりに、立方根は「cube root」で平方根は「square root」だから、英語はやや混乱していると言えなくもない。『数学用語の漢字』によれば、「quadraticに特別な語を与えていない」とのことで、この翻訳姿勢は適切だろう。

四次以上の高次の場合には、何というのだろうか? 検索エンジンで調べた範囲では、9次までがわかった。4次から順に、quartic(4次)、quintic(5次)、sextic(6次)、septic(7次)、octic(8次)、nontic(9次)である。それ以上はわからない。n次方程式は、nth degree equationという。

2001/6/6
パソコンへの引き当て

このごろ、MOドライブの調子が芳しくない。オリンパス製の640MBドライブを購入したのは1999年の7月で、もうすぐ2年を迎える。現在も控えをとるのに使っているから修理を待っている時間はなく、壊れると買い換えなくてはならない。少し前に立川のビックカメラで同じ製品が処分特価2万円で出ていたので一瞬引かれたのだが、買わなかった。あれは誤りだったか。

故障されるといちばん弱るのはプリンター(LaserWriter 16/600 PS-J)である。ローラーならまだいい。ハードディスクがやられると、確実に10万円が出ていく。最も厳しいのはロジックボードがダメになったときで、プリンターのシリアルナンバーを記憶しているモリサワOCF書体は再インストールできなくなる。しかもOCF書体は2001年7月末日でいっさいのサポートが打ち切られる。つまり、今年の8月以降にロジックボードが死ねば、買い換えを考える必要が出る。ところが、いまのところ代替機が見つからないのだ。

パソコンも周辺機器ももろいものだから、それ以上に拡張する計画がなくとも引き当てを積んでおくべきなのだろう。さもないと、私が昨年末に味わったように痛い目に遭う危険がある。

2001/6/5
井上陽水をピアノ伴奏で聴きたい

井上陽水がカバーアルバム『UNITED COVER』を出したのを新聞で知った。私が中学生のころ、テレビに出演した当人は「歌手になりたい」と言っていたので、希望がかなったと言える。アルバムのなかの「花の首飾り」はキリンビバレッジのCMソングに使われているという。しかしながら、スローテンポな曲なので15秒CMは厳しいのではないだろうか。

井上陽水は私が尊敬する4名(ほか桂枝雀、桑田真澄、森毅。小針アキ宏を入れることもある)のなかの1人なのだが、94年以降はあまり流れを追っていなかった。それで、フォーライフの公式ページを見て驚く。『招待状のないショー』以降の全曲が試聴できるではないか。もっとも、厳密には最新のアルバムは4曲しか試聴できない。聞いてみた結果……挙がっている4曲は私にはイマイチ。「蛍の光」とか「月の砂漠」は聞いてみたい。あと、『ReMaster』extra-2の「引き揚げ者の唄」はぜんぜん知らなかったが、けっこういい。

最近の井上陽水の声は、「少年時代」がヒットしていた90年初頭よりも深みを増していて、私はとても気に入っている。「長い坂の絵のフレーム」(『九段』)を聞いて、鳥肌が立った。(理由はよくわからないのだが、感動する音楽に出会うと鳥肌が立つ。当然ながら無意識なので、止められない。)いまの売りは音域より歌唱力より「声」そのものだ。だから、伴奏は最小限でいい。というわけで、ピアノ伴奏だけのアルバムが出るといいなあ。

2001/6/4
直付けのUSBケーブル

Happy Hackig Keyboard Lite 2のその後を書く。このキーボードのUSBポートにロジクールのホイールマウス(M-UM48)を取り付けておくと、Mac OS 8.6上で数日に一度ポインターが動かなくなる。Mac OS Xでは起こらないから、Mac OSかドライバーの問題なのだろう。Mac本体のUSBポートにマウスケーブルを刺して対処している。ちなみに、発売元に問うと純正マウスを使えとの返事だった。純正マウスに耐えうる人間ならHHKL2を買ったりしないように思う。

古い話をむしかえせば、5月6日に「HHKL2は使っているうちにケーブルの接触が外れる」と書いたのは、上記の現象を誤認したものだ。たしかにケーブルはぐらついてはいるが、接触が外れているわけではない。

HHKL2もアップル純正のキーボードも、キーボード側のUSBケーブルは直付けになっていて取り外すことができない。持ち運びの際には少々不便である。むかしのADBキーボードには左右両側にADBポートがあったから、自分の利き腕や机の配置にあわせてケーブルを刺すこことができた。個人的に問題なのはキーボードの背の部分に直付けされている点で、液晶ディスプレイの台座にキーボードを乗せようとするときに具合が悪い。

2001/6/3
書体とフォント

いつも書体がどうこう書いているわりには「書体(typeface)とフォント(font)の区別」を理解していなくて反省している。Computer Modernが書体族で、Computer Modern Romanが書体で、cmr10やcmr5がフォント。となると、Type1書体とかビットマップ書体という表記は変なわけか。ただし、以上の議論は「書体」をtypefaceの訳語と定義した場合に適用される。

気になること1。リンク先の定義ではサイズが異なれば異なるフォントになるようだ。しかしビットマップ書体フォントとちがってType1やTrueTypeだと、基本的にサイズによるデザインの差はない。そうなると、書体とフォントの違いはなくなってしまうのではないか。

気になること2。「書体」という言葉からは、草書とか楷書とかを思い浮かべてしまう。typefaceはtypeのfaceなのだから、活字書体が前提なのだろう。もし明朝体、ゴシック体を「書体」の違いとして認識した場合には、リュウミンと本蘭明朝とは同じ書体(明朝体)で書風がちがうだけなのだろうか。

2001/6/2
印刷用画面に出る日米報道サイト差

一定の長さ以上の文書は、基本的に印刷して読むことにしている。それで気がついたのは、米英報道機関のサイトでは「Printable Page」とか「Printer-Friendly」などといって、記事を印刷しやすい形式にできるところが多い点だ。いちばん凝っているのがヘラルド・トリビューンで、段組の設定までできる。ニューズウィークはできないようだ。

なぜこのように普及したのかはわからない。ただの横並びかもしれぬが、便利なことは便利だ。それに引きかえ日本の報道機関のサイトは――と書いてきて、日本の報道機関のサイトには印刷するほど長い意見記事がほとんどないことに思い至る。(以下余談。英米サイトはcharsetがないものが多く、そのため標準状態では和文書体が適用されてしまう。それを避けるために欧文専門にOperaを導入してみたが、このブラウザーはSpaceで画面移動できず、結局IEを使って手作業でエンコードを修正している。)

2001/6/1
打率の怪

ほぼ毎日、イチローの活躍が新聞に載る。わざわざ全打席が記してあるので、知らず知らず見るようになってしまった。そのとき、自分でも不思議な感があるのは「5打数2安打」と「3打数1安打」のちがいだ。数字の上では前者は打率4割なのだが、なぜか3-1のほうがいいような気がしてしまう。たぶん私の数覚がおかしいのだろう。