2001/5/31
NHKブックスの読みにくさ

読みにくい書籍をつくる出版社はたしかにある。たとえば東京大学出版会がそうだ。組版の常識を無視して1行に4945文字も押し込んでいたりするので、当然だろう。もうひとつ、日本放送出版協会のNHKブックスがどうも私はダメだ。ただ、こちらは理由がよくわからない。(010531訂正。四六判に49文字も入るわけがない。)

2001/5/30
啓蒙の前にすべきこと

近藤宗平『人は放射線になぜ弱いか――少しの放射線は心配無用』(第3版、講談社ブルーバックス、1998年)を読む。著者は、「放射線はどんなに微量でも毒である」という学会での定説に反論し、益か毒かの閾値が存在すると主張している。

放射線が体にどのように悪いかを知らなかったので、II章はためになった。被曝すると、細胞の水分子がイオン化して正の電荷をもち、これが通常の水分子と反応して水酸遊離基をつくる。この水酸遊離基が毒であり、DNAの塩基を損傷する。損傷した塩基は通常なら修復(もしくはアポトーシス)されるが、細胞分裂が盛んなときには間に合わない。血球や性細胞などに影響が出るのは、そのためである。

そういえば、線量の単位が2系統あることも知らなかった。1グレイ=100ラド、1シーベルト=100レムである。この本では、ラドやレムといった旧単位が使われている。グレイとシーベルトの関係は、グレイが被曝量を物理的に測定する単位であるのに対し、シーベルトは「人体影響の危険度を加味して計算する」――などとあるが意味不明なので調べると、グレイ=kシーベルトで、係数は放射線の種類によるそうだ。アルファ線なら20、中性子線なら10、ガンマ線なら1だという。

統計の解釈には疑問がある。p.231のグラフでは、長崎の原爆被爆者が60歳を超えると死亡率が有意に低くなっている。このグラフを著者ははじめ「被爆者は通常の人よりも健康に敏感になるから」と解釈していたのを、のちに「少しの放射線ならあびたほうが人体に益をもたらすことが、中国と日本の健康調査でほぼたしかになった」と、見解を大きく改めている。その一方で、チェルノブイリ事故後に子どもの甲状腺腫瘍が20倍以上になったことを示すグラフ(p.245)には、「甲状腺腫の検診熱が当該地域の人達に高まった結果にもとづく見かけ上の発症率の増加」だという見解を示す。

著者は「実証」という言葉を用いるが、ほんとうにそうなのかどうかは私には判断できなかった。われわれのような素人に放射線についての正確な知識を求めるのは過大な要求であろう。その場合に定説を信頼するのは、それほど不合理だとは考えられない。「原爆を生き残った若い人の婚約破談の話、遺伝的影響を心配している被ばく二世の話などを聞くたびに胸が痛む」という著者がなすべきことは、一般人への啓蒙よりも先に自説を学会での定説とすることである。

2001/5/29
歌あれこれ

このごろ「夏は来ぬ」が気に入っている。風邪で声がほとんど出ないのに、「卯の花のにおう垣根に……」と口ずさんでみたり。この歌にしろ「村の鍛冶屋」にしろ、歌詞の一部はけっこう教訓じみているのだが、それでも味わいがある。歌詞や曲がが思い出せなければ、「童謡・唱歌」に歌詞とmidiファイルがあるので確認できる。肉声まで聞きたいというワガママな人は、「日本の唱歌」に行くとよい。

それで、前々からきちんと知りたかったアニメ歌があったことを思い出した。ひとつは『スプーンおばさん』の「夢色のスプーン」(midi)で、いまひとつは『宇宙船サジタリウス』の「スターダストボーイズ」(midi)で、いずれもWeb上で発見できて嬉しく思う。「みんなの詩」の「恋するニワトリ」もいいねえ。

2001/5/28
「用紙サイズに合わせ」ない

tex→dvi→PS→PDFときて出力した文書を見て、なぜだかムカムカする。よく見ると、Computer Modernの根号や分数線が場所によって異なる太さになっている。Acrobatの印刷設定で「用紙サイズに合わせ」ていたのを思い出して、解除すると適切に印刷された。もともとA4で作成したのだからチェックしていても問題ないと信じ込んでいたが、迂闊だったようだ。

2001/5/27
基礎と応用と反教養主義

岩波の『数学公式』を買う。私は数学音痴で、この言葉に偽りはない。自慢するのも変だけど、私の数学力は無限小である。センター試験すら半分しか得点できなかったし、もちろん実際の入試問題など確率単元を除いて理解不能だった。それでも数学の本を見返さざるをえないのは統計学で必要とされるからで、私は統計学の視点から数学を眺めていると言ってよい。そして嘆く。「オー、コンナニ重要ダトハ知ラナンダ。モット勉強シトクンダッタヨ」。

実のところは、そんな嘆きはあまり意味をなさない。統計学を知るまでは、どうせガンマ関数に興味をもたなかっただろう。私のような凡人には、専門があってはじめてそこから教養をとらえることができる。このような人間を専門バカと呼ぶのかもしれない。しかし、「さあ教養を学びましょう!」という姿勢で視点が定まらないまま教養課程に在籍したら、専門バカどころかバカ専門になりそうで恐い。

「教育のための最良の道は,いちばん無駄の少ない,くりかえしのない,論理的に筋の通った道とはかぎらない」(木下是雄『理科系の作文技術』〈中公新書624、1981、p.189〉)。教養課程を完全に制覇して専門に臨むのは、たしかに最短の道である。専門をやりながら泥縄式に教養を学ぶよりも、うまく教養が身につく仮定さえあれば効率的だ。だが、効率を主眼として教養課程を一斉に設置することこそ、教養のめざす方向の逆を行っていないだろうか。

大衆化した高等教育で、上記の仮定が成立する見込みはそう高くない。旧制一高の伝統を引き継ぐ東京大学も、進振りによる締め付けを行なわない類では教養教育が崩壊している。(締め付けがあっても実質は崩壊しているとすら思うが。)60年代に各大学で設置された教養部が90年代に相次いでその幕を下ろしたのも無理はない。われわれはそろそろ、教養という幻想から脱却してもよいころだろう。

2001/5/26
風邪引いて、寝んね

このところ風邪を引いている。第1日、のどに違和感を感じる。第2日、のどの痛みが1日じゅうとれなくなる。(気分的にはこの日が最悪。)第3日、のどの痛みは弱まり、セキと鼻水が出てくる。第4日、セキ・鼻水に加え、タンが出てくる。原因がウィルスによるのか細菌によるのか不明だが、後者なら医者にかかって抗生物質をもらったほうがいいと忠告された。というわけで、医者にかかる。風邪で医者に行くのは96年以来だ。診察の結果、抗生物質のない消炎剤など薬3点とトローチを処方していただく。

2001/5/25
気温による予報の精度

天気予報の精度を評価するのは容易ではない。たとえば「晴れ」と予報したとき、実際には「晴れときどき曇り」だったのと「晴れのち雨」だったのとでは、罰点のつけかたを変えなければならない。「一時」とか「ところにより」なんかも評価に入れてしまうと、ちょっと手に負えなくなる。

そこでもっと単純に、予想最高気温・最低気温と実際とのちがいで精度を測定してみるのはどうだろう。これも、ちょっと難がある。たとえば東京の最高気温を26℃としたときには、東京のどの観測所で26℃になると予測しているのか、とか、有効数字は2桁でいいのか、とか。

2001/5/24
ADSLの不調で考えたこと

きのうからイー・アクセスの調子がおかしい。発端は23日午前2時ごろで、pingやtracerouteは行なえるものの大部分のホームページが閲覧できないことに気づいた。(不思議なことに、米国Apple社など一部のサイトは表示できた。)さらに午後4時過ぎには、ルーターのログに「PPP-LCPの確立失敗」という表示が連続して出るようになった。現在は上記2種類の現象がかわるがわる出ている状況なので、アナログモデムでniftyに接続している。

困ったのが、問い合わせの電話番号がわからない点だった。χさんのおかげで電話番号を知ることができたが、あらかじめ控えておくべきだったと思う。電話番号は、イー・アクセスが0120-2754-37, 5。niftyは、0120-818-275, 1。アナログで接続すればいいという助言は、niftyで得た。イー・アクセスは「混雑している」そうで、電話が通じない。(加入申し込み用電話番号には一発で通じた。)本当に助言を必要とする状況もあるわけで、有料でよいから確実につながる電話番号があると助かるのだが。

ADSLの品質に関しては、はじめから期待していないので不満はない。ISDNよりも速いものの安定性が落ちる特性を承知の上で加入したのだし、いざというときもアナログ電話があるので最低限の作業はできる。電力などの生命線はともかく、個人向けのインターネット回線にあまり高い品質を求めるのもどうかと思う。1Mbpsていどの速さが月額5000円で手に入るなら、月に1日や2日使えなくなるのは許容できる。(追記010525:25日の帰宅時にeAccessから留守電が入っており、通信機器の異常との知らせを受けた。)

2001/5/23
モノに歴史あり――こまごめピペット

ふと、こまごめピペットの名前が気になった。「こまごめ」にあたる漢字は、地名の「駒込」しかない。ではいったいなぜそんな名前がついたのか。答は都立駒込病院のホームページにあった。

2001/5/22
『ワシントン政治を見る眼』

wad's 読書メモ」で「必読」との評価を受けているポール室山『ワシントン政治を見る眼』(中公叢書、2001年)を読んでみた。たしかによい本だ。中学校の公民で日本の政治制度について学ぶが、この本ではそのアメリカ版が学べる。また、合衆国憲法を読んでみようという気になったのは、この本のおかげだ。さらに、読書メモにもあるとおり図表の出来が秀逸である。ただし、連邦と州政府の関係についての記述が一切ない。

ワシントン情報はすべてバイアスがかかっていると著者自ら述べているように、この著書自体にもバイアスがかかっている点には注意が必要だ。「共和党は金持ちの党というかつてのイメージは通用しない」(p.195)などと共和党に甘いし、ロビイング活動やPR活動を強く正当化しているのは筆者の経歴を見れば理由がわかる。ワシントン政治への批判精神も薄い。ワシントン住人によるPR書という評価が適切だろう。でも、おもしろいことには変わりない。

豆知識も豊富に仕入れることができる。「リベラルとかコンサーバティブとか呼ぶのは相手を非難する時である」(p.70)、「米国の有権者登録では、各州選挙登録事務所に登録する段階で、民主党登録か共和党登録かあるいは無所属かを明記した形で登録する」(p.179)、「米国では下院議員より上院議員の方が力があり、地位も高く、尊敬もされている」(p.203)、「アメリカの組織内ではいろいろな規制はあっても言論だけは規制されておらずに自由である。部下が上司に平気で抵抗し文句を言ってもそれは日常茶飯事であって、上司もそれに耐える。……中略……上司には忍耐が必要になるが、それも上司たる資格のひとつと考えれば不自然ではない」(pp.243-344)。

2001/5/21
ディスプレイフィルターが気になる

期待していなかったCRTフィルタの効能」(元麻布春男の週刊PCホットライン/PC Watch)が気になっている。富士通のOASYSからApple 16-inch Color Displayに移行したとき、目の奥が焼けるように感じた。結局それ以降は液晶ディスプレイを使っているものの、この半年ほどは凝視後に疲れを感じるようになってきた。東レのFAQには「液晶にもフィルターは必要なのですか?」「必要です」とあったりして、EFilterN1がいいかと考えている。(追記010522。ビックピーカン〈ひどい名前だ〉で注文しました。いずれ感想を書きます。)


2001/5/20
スタイルシートがわからない

スタイルシートの使用を推奨するサイトはどれも似たような面構えをしていると書いたのも昔のこと、「娘娘飯店しるきぃうぇぶ」などはXHTMLかつスタイルシートばりばりだが美しい構成で、こちらが時代に取り残された感を強くする。「CSS2勧告邦訳」を読んでみるものの、かなり長くて降参する。初心者はつらい。

さて、「第15章フォント」で驚いたのは、「15.2.4 フォントサイズ」の中にある「'font-size-adjust'」だ。

活字ケースが2種類存在する用字系では……中略……'x-height'の値、いやそれ以上に両者の縦幅比(フォントサイズをx-heightで割った値)が重要である。縦幅比が大きければフォントサイズが小さくても読み易く、逆に縦幅比が小さければフォントサイズを初期値より少し小さくするだけで読みにくくなるようである。

などと親切な解説がある。実際に展開した画像を見て、心底感心してしまった。

2001/5/19
消費格差は若年化するか

竹中平蔵の答弁に感心したので、同氏のインタビューが載っているテレビ東京WBS編『経済を見る目はこうして磨く』(日経ビジネス人文庫、2000年)を買う。経済屋(必ずしも学者ばかりではない)さん6名のうち、好きな経済学者としてシュンペーターを挙げたのが3人、ケインズを挙げたのが2人(ただし、いずれも延べ人数)。浅子和美先生は宇沢弘文ゼミだったのか――とか、そんな話は関係なく竹中先生のインタビューを読むと、あいかわらず上手だ。

支出のばらつき、つまり支出の格差を見れば生涯所得の格差がわかるはずだとその学者は考えたんです。するとおもしろいことがわかったんですね。二十代、三十代ぐらいまで、消費格差ってほとんどないんですよ。ところが、ある年齢を境にしてワーッと格差がついているんですよ、日本人は。これは四十二歳なんですよ(p.253)。

上の話は、金持ちの中高年が増えたのに使い道がないから、そこに商機があるぞという流れである。しかし私が興味をもったのは、なぜ二十代、三十代に格差がないのかという点のほうだ。「その学者」が誰なのかわからないし、何のデータか不明だから確認しようがないけれど、これは年功序列制によって若年層の賃金が抑えられていたからではないのか? 竹中先生のおっしゃる構造改革が実現されて雇用が流動化し、年功序列制が維持できなくなったときには、「二十代、三十代ぐらい」から格差がつきはじめるだろう。そうだとすれば、この「商機」はそう長くなさそうだ。

意外と認識されないんですが、九〇年代を通して、平均一%成長したということは、バブルのピークであった一九九〇年と二〇〇〇年を比べると、国民の生活水準は十数%高いということなんです(p.232)。

そういわれればそうなのかもしれない。いま93SNAで計算してみたら、1999年時点で1990年比1.118(実質)だった。「失われた十年」の割には、いい数字ではないか。ちなみに、平均1%成長では10年で「十数%」高くなることはない。(10.4%くらいにしかならない。)

2001/5/18
チェアマットを買う

ディノスの通販で購入したオカムラのチェアマットが、27カ月にわたる酷使の結果ボロボロになった。気に入った品だったので、代替品をWebでさがす。いくつかの会社(その1その2その3)が出しているようだ。ところが、これらのチェアマットは幅が90cmちょっとで、幅120cmの机には狭い。オカムラのものは幅114cmでちょうどよく、けっきょく今回も前と同じものを買うことにした。ディノスでは1万円を超えていたのに、直販だと送料込みで8400円で買える。インターネット万歳。

注文して4日でとどく。説明書を読んで、いままで自分がマットを裏表に敷いていたのに気がつく。マットがひび割れたのは畳の縁と重なっていたからだと思っていたのだが、私の誤った使い方に原因があったのかもしれない。

2001/5/17
直観はどのていど直観なのか

市川伸一『考えることの科学――推論の認知心理学への招待』(中公新書1345、1997年)がおもしろい。並行して読んだ小此木潔『財政構造改革』(岩波新書新赤539、1998年)はおもしろくない。新聞記者の書く経済の本は、概してつまらない。新聞の解説記事を読んだような半端な気分になる……のは当然か。

市川(1997)で個人的に興味をもったのは第5章と第6章だ。第5章では、われわれの直観を裏切る条件付き確率の問題(ベイズの定理を利用するもの)が出題されている。第6章では、統計的な見方があるていど訓練可能であることが示される。同じく第5章で問題とされた囚人のジレンマ問題(注:ゲーム理論ではなく、条件付き確率の有名問題)は、第6章にて「ルーレット表現」という図を使うことで正答を求める方法が示されている。このような、推論を助ける図はありがたいものだ。

考えてみれば、これまでも直観が裏切られる場面はけっこうあったのだろう。質量保存の法則なんかもそうで、水100gに食塩20gを溶かすと全体で120gになることを、小学校低学年の児童はなかなか納得しようとしない。たしかに体積は増えないのだから、奇妙な感じがするのも無理のないことなのかもしれない。(重さと体積は混同しやすい。「鉄1kgと綿1kgとではどちらが重いか」とは有名な謎々。)あるいはまた、「行きは時速60kmで、帰りは時速40kmで行きました。平均時速は何kmでしたか」というような問題(答えは48km/h)も、算術平均以外の平均(幾何平均や調和平均。この問題では調和平均を用いるのが適切である)になじんでいない人にとっては直観的ではないだろう。

われわれが直観だと信じていることの中には、実は教育の産物である事柄が意外に多くあるのだと思う。教育は恐ろしいものだ。

2001/5/16
トラックパッドを操作する指

ノートパソコンでポインターを移動するときには、パソコン標準搭載の装置を使っている。いま主に使用しているのは日立製なので、トラックパッドだ。べつにトラックボールでもいいし、IBMのトラックポイントでもいい。もっとも、タッチパネルは勘弁してほしい。ノートパソコンに外付けマウスを取り付けたことはない。

さて、そのトラックパッドを操作するときにはどの指を使っているのか改めて意識してみると、どうも右手の人差し指か中指であることが多い。ホームポジションからの移動が少ないほどよいと考えるならば、親指を使うほうが正統的なのだろうか。

2001/5/15
竹中平蔵の答弁を聞く

竹中平蔵は、あまり好きではなかった。それは主張の一貫性が疑わしいからで、以前NHKラジオ朝一番で「調整インフレ」が必要だと述べていたときには耳を疑った。このごろは、また構造改革論に戻ったようである。

しかしながら、竹中平蔵の国会答弁はけっこうよい。予算委員会の質疑を聞いていて感心した。麻生太郎とのやりとりでは、古い経済理論にもとづく麻生の質問には直接言及せずに、比喩を使って説明する。うまい。テレビに出つづけているだけのことはある。途中で口をすべらせて、「みなさんにも経済学の入門書を読んでいただきたいのですが」と言ったあとで、「もちろんここにおられるみなさんはご承知のことと思います」と継ぎ足したのも、なかなか皮肉が込められていてすばらしい。

2001/5/14
WYSIWYG

渡邊剛さんの「解像度まとめ」(電波とどいた?)を読んで、はたとひざを打つ。「『Macは72dpiでWinは96dpiだから、表示するとフォントのサイズが違う』という実は間違えてる話」だとは、ぜんぜん知らなかった。「モニタ解像度」に合わせたビットマップ書体を用意するのが難しかろう(TrueTypeで下手に展開されるのは、もっとつらい)が、原理としてはよくわかる話である。

ただ、WYSIWYGに関しては、ちょっとわからない。WYSIWYGは、大きささえ合えばいいのだろうか? たしかに初期のMacintoshは画面/印刷機ともに72dpiだったし白黒しかなかったのでそう呼べたのかもしれないが、144dpiのImageWriter IIが出た時点で厳密なWYSIWYGではなくなったと私は考えていた。0.5ポイントの太さをもつ線は、画面上では「そのままの大きさでは」確認できないからだ。

画面と印刷機とで解像度が異なったとき、画面側の対応策は2つある。ひとつは大きさを合わせる方法で、1インチの長さを1インチとして出す。いまひとつは、印刷機の1ドットを画面の1ドットにする。書体を離れて言えば、前者はドロー系ソフトに、後者はペイント系ソフトに適しているだろう。解像度300dpiでスキャンした画像をPhotoshopで編集するときを想定すればよい。この後者の態度をWYSISLWYGとか何とか言っていた記憶がある。

追記010516。渡邊さんによれば、べつに前者の態度をWYSISLWYGと呼んでもよかろうとのこと。たしかにそうである。「SL」はsmaller or largerだと信じていたのだが、sorta likeらしい。WYSIMLWYGでmore or lessだったか? 新たな知識によって以前の記述で修正しなくてはいけない部分が多々ありそうだが、気力がない。いずれ本来の機能どおり12ptの書体が常に実寸12ptで画面表示されるようになったときには、高齢者や視覚障害者のために全画面的に拡大表示する機能が不可欠だろう。すなわち、12ptの書体が常に実寸18ptで表示されるとか。

2001/5/13
Gui-Shellのアップデートとlatex2html

pLaTeXで文書を組版するときに使うGui-Shellが、Windows 2000にしてからアップデートできなくなっていた。そのため長らく1.36を使っていたのだが、ようやく理由がわかり1.39にできた。CD-ROMからコピーしたguishell.exeの更新日時が9時間ずれているので、更新日時でバージョンを判断しているGui-Shellのアップデーターからエラーが返ってきていたのだ。早い話、アップデートするときには時間帯をGMTに合わせておけばよい。ただし、夏時間に注意する必要がある。

Gui-Shell 1.38からlatex2htmlをサポートしたので、意を決してインストールする。TSPやShazamにもpatch.exeがあることに気がつかず、しばらく考え込む。導入後、試験的に変換させていたら、「dvipsk: ! virtual recursion stack overflow」なる未知のエラーが出た。手元の環境では、CMR/CMMIにRyuminL-KLの一部文字を流用したVFファイルを使用している。それが原因だったので、とりあえずtxfontsパッケージを使って逃げることにする。恥ずかしながら、いまのところGui-Shellからlatex2html.batを呼び出すことができていない。

2001/5/12
日本に仙人はいるか

松浦友久編訳『李白詩選』(岩波文庫、1997年)のあとがきを読んでいて、「詩聖」という杜甫への呼称は「詩仙」李白に対応するものとして後年に生まれてきたことを知る。聖-俗ではなく聖-仙という組み合わせがおもしろい。むかし森毅が聖-俗-遊の3項パラダイムがいいと述べていたのを思い出した。仙人は遊にあたる。

日本に仙人といえば誰がいるかとしばらく考えていたのだが、すぐには思い当たらない。平安時代の『本朝神仙伝』には大和武尊やら聖徳太子やら弘法大師やらが挙がっているそうだが、こういった人々を仙人と呼ぶのには抵抗がある。

2001/5/11
『法隆寺を支えた木』より

西岡常一、小原二郎『法隆寺を支えた木』(日本放送出版協会、1978年)を古本屋で見つけて買う。文章の一部に見覚えがあるから、おそらく中学生の時分に模試か何かで読んだのだろう。西岡氏は「最後の宮大工」だそうだ。宮大工というのは儲かるという話を人づてに聞いたのだが、そうでもないみたい。以下、佐伯(1975)の反省をまったく活かさず気に入った「エピソード」を下に綴る。

法隆寺の伽藍は宮中の清涼殿や紫宸殿に匹敵するほど尊いものと見なされていたので、法隆寺大工の棟梁は修理期間だけ殿上人の位を得ていたそうだ(p.18)。あと、もはや良質のヒノキを国内で得ることは不可能になっていて、「最近完成した薬師寺の金堂も、法輪寺の塔も、さらにはもう少し前の明治神宮の鳥居までが、台湾ヒノキによってようやく伝統の形を復元して来た」(p.111)とのこと。


2001/5/10
RAM増設の効果は?

LaserWriter 16/600 PS-Jは標準で8MBのRAMを搭載している。同じ解像度のOKI MICROLINE 803PSIIV+Fには16MBのRAMが載っているので、搭載量に少し不安があった。RAMを増設したので、それが印刷にどのような効果があったのかを計測してみる。下の表での印刷時間は、「印刷」ボタンを押してから最後の紙が排出されるまでである。

                          8MB       16MB       24MB
------------------------------------------------------
起動時間                 1'27''     1'24''     1'26''
スキャン画像PDF(10枚)    9'47''     9'51''    10'06''
EPS入りPS文書(8枚)       1'45''     1'52''     1'57''

RAMの容量が増えるにつれて、印刷速度が遅くなっているではないか。ちなみに、Windows 2000Pro SP1からlprを使って印刷している。Macからだと、また異なった結果が出てくるかもしれない。結果を見ての感想:FinePrint(RAM12MB以上必要)でもしないとやってられない。

2001/5/9
評価の方法

確率変数$X$が非負の値をとるとき、\[ E(X) = \int_0^{\infty} ( 1 - F(x) ) dx \]であることの証明で、稲城宣生『数理統計学』(裳華房、1990年)では「部分積分を使う」とあるけれど、そのとき第1項の評価はどうするのだろう。無限大かけるゼロになるのだが、うまい手があるのだろうか。(積分区間を$N$で切っておいて無限大に飛ばしても、第1項がゼロになるのは自明ではない――というか私には理解できない。)数学に詳しい人に教えを請いたい。

私が好きなのは、\[ \int_0^{\infty} ( 1 - F(x) ) dx = \int_0^{\infty} P( X > x ) dx \]としてから、逆分布関数を考えて縦に積分する方法。イメージが浮かんでよいと思う。($F(X)$が$U(0,1)$にしたがう性質を使う。)でも、いちばん手っ取り早いのはフビニの定理を使うことらしい。すなわち与式は\[ \int_0^{\infty} \int_x^{\infty} f(u) du dx = \int_0^{\infty} \int_0^{u} f(u) dx du = \int_0^{\infty} u f(u) du = E(X) \]となる。

2001/5/8
xyzzy+KaTeXメモ(Source Specialで幸せ編)

C-c C-t jで角藤版platexを動かしたいなら、katex.lの74行目付近

(defvar tex-command (if KaTeX-japan "jlatex" "latex")
  "*Default command for typesetting LaTeX text.")

の「jlatex」を「platex」に変更する。私はSource Specialが使いたいので、「platex -src」としている。さらにdvioutの設定Commonタブのsrc欄に

c:\xyzzy\xyzzycli.exe^s %s -go %d

などと書いておけばよい。(ディレクトリは適宜修正。)ここで「xyzzycli.exe」のかわりに「xyzzy.exe」としてもよいが、そのときはソースに戻るたびに新たにウィンドウを出す。以上の設定で、dvioutで画面を眺めているときに、適当な場所で「Ctrl+左ボタンプレス→右ボタンクリック」すれば、xyzzyの該当行に戻れる。

2001/5/7
道徳教育に一貫性を

立川のフロム中武にて開催されていた古本市で佐伯胖(ゆたか)『「学び」の構造』(東洋館出版社、1975年)を見つけたので、読んでみる。5章仕立てのうち第3章「道徳はいかに学ばれるか」がおもしろい。それへのつなぎにあたる第2章の終わりの部分と、読者にインパクトを与えるための第1章の冒頭とが記憶に残る。

本書冒頭では「学べない人間の三つのタイプ」として「無気力型人間」「ガリ勉型人間」「ハウ・ツウ型人間」を挙げている。無気力型人間は言うに及ばない。ガリ勉型人間は、数学でいえば判別式オタクになったり三角関数の諸公式を丸暗記したり、なんというか努力の意味を取り違えている人のことだろう。興味深いのが「ハウ・ツウ型人間」で、私なんかはその気があるから危険だと思う。次の指摘はどうだろう。

われわれを「学べない」人間にしている原因としてもう一つ考えられるのは、やはり日本の文化や伝統の中にある、知識に対する主観主義的な見方である。いいかえるならば、真理というものの実在感の欠如である。……中略……学説や理論も、ちょうと「職人」が複雑なカラクリ人形をつくったのをながめるようにながめ、それが真理という実在にせまるもの、真理を反映しているものとしてとらえるのではなく、カラクリのみごとに動く動き方、その複雑な仕組みのみごとさに「感嘆」し、「これはなかなかおもしろい、興味のある理論である」と評価する(pp.27--28)。

また著者は、日本人のいう「わかる」が「エピソードを記憶する」意味になっていると主張する。

「このことばはどっかで聞いた」、「あの論法はダレソレ式の論法だ」、「この話はあの話に似ている」、だから、よくわかる! これでいいのだろうか。……中略……われわれが「これは大変わかりやすい」と評価するさまざまな入門書の多くは、「どうすればよいか」という「手順」……中略……がはっきりしているものをさしている場合が多い。……中略……もう一つのこの種類の「入門書」でよくあるタイプは、本全体がさまざまな学説や理論の「やさしいことば」での紹介である。「こういう説もあればこういう理論もある」というわけで、それらの(エピソード)の「分類」だけで各章が構成されている(pp.63--65)。

このため、日本人は道徳的判断を判例というエピソードによって行ないがちで、一貫性のある大原則を提示していないことを著者は問題視している。引用が多くなってしまって恐縮だが、最後に著者が現在の日本の道徳教育に合理性が欠けていることを批判した文章を挙げておく。

人々に「感動」を与えたり、「情感あふれる体験」をさせたりすることは、それほどむずかしいことではなく、まして、教育界がよってたかって「研究会」をしたり「研修」をしたりするほどのことではない。われわれは映画を見て泣き、「かもめのジョナサン」を読んでこころをふるわせる。
しかし、その「感動的映画」をみるために、人をつきとばして電車にのり、映画館の行列にわりこみ、われがちにあらそって席をとり、観終わったら、「ああ今日は感激した」とサッパリした顔つきで帰途につき、帰りの電車の中で、自分のすわっている前に年老いた婦人をみかけると「ねむっている」ふりをして帰りつく。これがわれわれの姿なのだ。……中略……
このことが問題なのだ。このバラバラさ、どんな感動的「名作」も、単なるエピソードとして、状況にだけ依存する「判例」としてしかうけとられない、というところにこそ、道徳教育の根本問題がある、といわざるを得ない(pp.99-100)。

2001/5/6
PowerMac G4 400/PCIにまつわる三題

Mac OS XでColorSyncを起動しようとするとSystem Preferencesが強制終了してしまう。何度インストールしても再現するのでメディアが悪いと考えCD-ROMをアップルサポートに送ったが、むこうでは再現できなかったとして返却されてきた。そこで、SCSIカードや追加ハードディスクを外して再度実験――ダメ。

Happy Hacking Keyboard Lite 2を導入してから、購入直後から煩わされてきた「起動15秒後に突然電源が落ちてしまうことがある」問題がまったく起きなくなった。原因はキーボードにあるという説は正しかったようだ。それはともかく、このHHKL2は使っているうちにケーブルの接触が外れる。そういう仕様なのかしら。

G4では「Unmapped」ではじまる未見のエラーが出て起動できなかったMac on Linuxだが、ROMにMac OS 9.1付属のものを使用すると問題なく起動できた。そろそろ実行環境をMac OS 9.1に移したほうがいいだろうか……。

2001/5/5
プリンターにコンパクトフラッシュ

ソフトの空き箱をかたづけていたところ、中からガラクタが出てきた。収納したまま忘れていたようだ。そのひとつに72pinのSIMM(32MB)があったので、せっかくだからプリンターApple LaserWriter 16/600 PSJにとりつける。JSTORからダウンロードしたPDFファイルの論文はスキャン画像なので、印刷するのに時間がかかる。それが改善できればしめたものだ。

ところが、この機械が古すぎるためか、32MBのうち4MBしか認識しない。説明書を見てもSIMMに関しては16MBまでしか記述がないし、「Must have a 2 KB row (11 bit x 11 bit) refresh configuration. 16 MB SIMMs with a 4 KB row (10 bit X 12 bit) refresh configuration are not compatible with the printer.」なる理解しがたい文言もある。まあ、もともとSIMMの存在を忘れていたので4MBアップでもいいのだが、もったいない気もする。

さて、ひさしぶりに背面パネルを開けてハードディスクとご対面した。このハードディスクが壊れると修理代が約10万円になる。それで修理をあきらめる人も多い。コンパクトフラッシュが安くなったのだから、プリンターのハードディスクのかわりに用いればいいのに、と思う。しかし、プリンター側ではフォントをもたない潮流ができあがっているから、どうでもいいことかもしれない。

2001/5/4
テレビが聞けるラジオを買う

もらい物のビデオデッキ(日立VT-2720)が、再生中に動かなくなった。VTRは駆動部が複雑だから、1987年製である点を考慮に入れると寿命と考えてもよかろう。そう判断してビデオを買おうとしたら、いつのまにか自然治癒しているのに気がつく。立派なものだ。

かわりに、テレビが聞こえるラジオを買うことにする。テレビが映らない我が家ではテレビ放送受信可能なCDラジカセ(三洋電機PH-PR960)が活躍しているが、日曜の朝などに政治番組を聞く際にはついでに水仕事がしたい。立川のビックカメラでアイワFR-C90松下RF-U170かで5分ほど悩むが、結局アイワにする。単三電池を使用している点(松下のは単二)、防滴仕様になっている点を評価した。4980円也。

2001/5/3
ClearTypeとイタリック体

ひらばやしじゅん「ファイト!縦文字文化――縦と横の解像度を考えよう」(できるかな?)を見て、ClearTypeの効果が実験できるソフトウェアが配布されていることを知った。さっそく使ってみる。書体はTimes New Romanの12ptだ。ちょっと見てみよう。

ClearTypeの効果を示した画面写真

日立のデジタル接続液晶表示装置(早い話がノートパソコン)を使っている身には、ClearTypeの文字がにじんで見えるので好きになれない。また、文字間がいまいちだ。もっと大きな画素の文字でないと効果が薄いのだろうか。ただし、イタリック体は読みやすくなっている。横方向の実質解像度を向上させるClearType技術は、イタリック体に最も顕著な効果が現われるみたいだ。

閑話休題。MacintoshのWebブラウザーで欧文標準書体にTimesを使用しているなら、MathTimeもしくはその互換ソフトに由来する数式書体は捨てないほうがよい。たとえばスーツケースのNisus Equation Tool Fontsには、Times Italicのビットマップ書体が入っている。14ptていどの大きさなら、TrueTypeの展開よりも綺麗に見える。

2001/5/2
アラビア数字いろいろ

留学生の書く数字を見ていると、アラビア数字にもいろいろな書きかたがあるものだと感心する。中国や韓国のそれは日本とかなり近いのだが、東南アジアの留学生の書くアラビア数字はヨーロッパ風雰囲気がある。植民地支配の名残であろうか。ヨーロッパ風のアラビア数字は、1が7に見えたり4が9に見えたりして、私には読みづらい。

日本人の書くアラビア数字は、かなり活字的だ。アラビア数字を使いはじめて日が浅く、まだ自らのものとしていないためだろう。非漢字圏の留学生が漢字を習いはじめたとき、活字的な漢字を書こうとする人がままあるが、日本人の書く数字はそれに似ている。一方、アラビア数字を長く用いてきたヨーロッパ人は、活字とは別に手書きによる数字の書法を発達させた。イギリス庶民が話す英語は音素の省略が本格的なため聴解に苦労すると乙部厳己さんが書かれていたが、ヨーロッパ人の書く数字はそれに似ている。

2001/5/1
愛しのApplWindows

私がMac OSで使っているソフトウェアの中で最古参の部類に入るのが、コントロールパネルの「ApplWindows 2.0.2」(1993年)だ。アプリケーションメニューを拡張するソフトウェアで、切り替え時にウィンドウまで指定できる。

ApplWindowsの画面写真

上の画面写真を見ればわかるように、アプリケーションメニューがどこででも呼び出せる点がすばらしい。いま使っているロジクールのスクロールマウスでは、スクロールボタンをクリックすることで呼び出せるようにしている。Mac OS Xでアプリケーションの切り替えがわずらわしいと感じたのは、ひとえにこのApplWindowsが使えないからだとわかった。